SNSで事故の映像を見てトラウマとなる人が急増
韓国ソウルの繁華街、梨泰院(イテウォン)での雑踏圧死事故から2週間が経つが、韓国は今も重苦しい沈痛な雰囲気に沈んでいる。
当日、梨泰院にいて事故を目撃した人や、意識を失った人たちを助けようとした人たちの中には、多くの犠牲者を出した事故の光景がトラウマになり、不眠を訴える人たちが増えているという。
直接現場を見た人でなくとも、ニュースやSNSで現場の映像を見ただけでも「胸が苦しい」と訴える人もいて、現場の凄惨な様子を映したSNSの動画は見ないようにしている、と言う人もいる。
また「通勤で地下鉄の満員電車に乗るのが恐い」という人もいる。SNSで、あれだけの人が密集して身動きがとれなくなった映像を目の当たりにすると、満員電車のように少しでも人が密集した空間に入れば、体を圧迫され、呼吸困難になるのではないかという不安が、どうしても頭をよぎるのだろう。
社会全体が“梨泰院ブルー”のうつ状態に
一般の人がそうなら、実際に現場に投入され、長時間にわたって救出救助作業に従事した消防士たちは、もっと生々しい犠牲者の姿に直接接しているはずで、消防署の幹部や消防士の間では、恐ろしすぎる現場の状況が脳裏から離れず、精神が不安定になり、精神科治療を受けて薬を服用しているという人もいると報じられている。
8年前に起きた貨客船セウォル号の沈没事故の時も、同じようにPTSD=心的外傷後ストレス障害になる人が増えたといわれる。専門家は、今回の事故でも「社会全体がうつと無力感を示す、一種の“梨泰院ブルー”のような状態に陥るだろう」との懸念を示している。
そのため韓国政府は、事故の負傷者や犠牲者の遺族を対象に、中央災害安全対策本部の下に「ワンストップ統合支援センター」を設置し、カウンセリングや心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療を行う医療スタッフを配置し、10日から運営を始めている。
「国家トラウマセンター」で心理相談受け付け
さらに保健福祉部(省)は、「国家トラウマセンター」内に「梨泰院事故・統合心理支援団」をつくり、遺族や負傷者だけでなく、一般市民も対象にカウンセリングや心理相談を受け付けるという。
「国家トラウマセンター」とは、新型コロナウイルスをはじめとする災害によって受けた心の傷を癒やし、国民の心の健康を守るとして去年6月までに全国5か所に設置された心理相談窓口で、セウォル号沈没事故(2014年)で犠牲者を出した高校がある京畿道(キョンギド)安山(アンサン)市にも、来年までに「安山トラウマセンター」が建設される計画だという。
それにしても、「国家トラウマセンター」というその名前が図らずも示すように、韓国には、「なぜ?どうして?」と誰もが衝撃を受けるような不可解、理不尽な事件・事故が、何年かに一度、起き、少なからぬ人々がそれによって心の重荷、トラウマを背負うという国でもある。
光州事件(1980)をはじめ、大韓航空機のサハリン沖撃墜事件(1983)、同じくビルマ沖アンダマン海上空でのKAL機爆破事件(1987)、聖水(ソンス)大橋崩落事故(1994)、そして三豊(サンプン)デパート崩壊事故(1995)などだ。
このうちKAL機爆破事件と三豊(サンプン)デパート崩壊事故の犠牲者を祀る慰霊碑が、ソウル市南部の「良才市民の森」公園に並んで立っていて、言葉では説明できない不条理が繰り返されてきたこの国の重い現実を知ることができる。
(大韓航空機爆破事件犠牲者慰霊碑 ソウル良才市民の森)
(三豊百貨店崩壊事故犠牲者慰霊碑 良才市民の森)
犠牲者の財布や貴金属はどこに?
ところで、今回の梨泰院での圧死事故は、外国人を含む157人の若者が狭い脇道で立ったまま命を落とすという悲惨な事故だったが、その事故現場を多数の人々が目撃し、さらにはその目撃者がスマホで撮影した現場の映像が、直ちにSNSに大量にアップされ拡散したことで、さらに多く人々がその凄惨な現場を目にする結果となり、衝撃が瞬く間に広がり、悲しみをいっそう深くした。
ところが、そうした映像の中には、消防や警察による懸命の救出救助活動が続く中で、現場近くのクラブやカフェは店の外まで大音響の音楽を流し続け、救出作業の様子を見ながら、近くで歌い踊る若者の姿や、笑いながら事故現場をスマホで撮影する人々の姿が映し出されていた。
それだけではない。現場近くの建物の上から、現場の路上を撮影した映像には、路上に横たわる大勢の犠牲者に対して消防士などによる懸命の心臓マッサージが続けられているなかで、その犠牲者の遺体を次々と跨ぎながら、犠牲者のものと見られる女性用のバックを持ち去る男の姿が映っていた。
さらには心臓マッサージをするふりをしながら、回りをきょろきょろと見渡し、横たわる若い女性の胸や太ももを触っているような男の姿もあったという。
ケーブルテレビ向けニュースチャンネルMBN(毎日放送)TVによると、事故現場に残された犠牲者の遺留品は服や靴など1040点が遺失物センターに並べられているが、それらの中に財布や貴金属はほとんどなかったという。つまり、第三者によって持ち去られた疑いがあり、警察は、現場から持ち出したものは届け出るよう呼びかけている。
(MBN TV11月7日放送「ネックレスや財布はどこに、遺族「思い出の品なのに」)
多くの若者の命が何の理由もなく奪われた不条理に、やり場のない悲しみがこみ上げてくる一方で、そうした死の周辺で繰り広げられた人間の醜悪な行為、理解できない心の闇の深さ、まさに地獄図絵そのもののような光景を見せつけられて、二重のショックとやりきれなさを感じ、それがさらにトラウマとなっていくようだ。
原因究明と責任追及で悲劇は連鎖
事故の原因と責任をめぐっては、警察庁の特別捜査本部による捜査が進んでいる。多くの人がこの日、ハローウィンを楽しむためにこの街に集まることは、十分に予想され、それなりの対策や準備を行うべきだったのに、警察や地元自治体はほとんど何もせず、指揮命令をとるべき警察幹部たちはその職責を何一つ果たさなかった。
現場を管轄する地元警察署長や消防署長、112番通報を受ける警察の総合状況室の当直責任者、それに地元の区長らが、全員被疑者として、特別捜査本部の捜査対象になっている。そうしたなか、事故の数日前に密集事故の危険性を指摘した報告書が出されていたのに、これを無視し、事故後にはその報告書の記録をパソコンから削除するよう命じたとして、職権乱用、証拠隠滅、業務上過失致死傷の容疑で捜査を受けていた龍山警察署の係長が11日、自殺した。
この事故で負傷し、脳死状態となっていた被害者の家族が、臓器提供に同意し、157人目に犠牲者になったというニュースとともに、警察係長の自殺は伝えられた。悲劇の連鎖は、今も続いている。
政権批判という過去のトラウマが再び
ところで、国会で3分の2の議席を占める「共に民主党」など野党3党は、国会による真相究明が必要だとして国政調査要求書を国会に提出した。尹錫悦政権の責任を追及し、責任者の処罰を要求するなど、今回の悲劇的な事故を政権批判の材料に使おうという意図は明らかだ。
左派系の弁護士グループの支援によって、遺族たちによる集団訴訟を起す動きが早くも始まっている。セウォル号事件と同様に、遺族たちによる補償金目当ての長い長い裁判闘争や真相究明・責任追及の運動が始まるのは目に見えている。
そして、急進左派の労働組合「民主労総」は、事件が起きた10月29日と同様に毎週土曜日には、光化門周辺と大統領室に近い龍山三角地周辺で政権批判集会を行っているが、11月12日の土曜日には「10万人総決起全国労働者大会」と銘打って、梨泰院惨事に対する政府の責任を追及する集会を開き、その日の夕方18時には、政権打倒を呼びかける「ろうそく集会」を開くとしている。
6年前に朴槿恵政権を倒したろうそく集会の「興奮」が再び蘇るのだろうか?民主主義の基本である選挙という手段を通じて誕生した政権を、再び「声の大きさ」、実態の分からない「圧力の大きさ」だけで転覆させようとしている。そんなことが繰り返されれば、韓国の民主主義は、永遠に癒えることのないトラウマを背負うことになるのではないか?
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