「約束守れ」と高みから韓国に鉄槌下す安倍氏の半島外交

『安倍晋三回顧録』を読んで、生前の安倍さんの「肉声」に触れたような思いがした。人を飽きさせない軽妙なその語り口は、彼の根っからの明るい性格を反映しているのかもしれない。

2度の退陣の原因となった持病を抱え、時にはその苦痛に七転八倒しながら人知れず耐えるしかない時間を経験し、さらには朝日新聞をはじめとして安倍さんを蛇蝎のごとく嫌う勢力が世の中に蔓延(はびこ)り、悪意を込めた罵倒の言葉が投げつけられる中で、時には打ちのめされ、失意に沈む時もあったに違いないが、そんなことはおくびにも出さなかった。ひたすら想いを重ねたのは、日本の子どもたちに残す未来のことであり、国家の安全、世界の中で誇れる日本の姿ではなかったと思う。改めて日本の政界にとって、いや世界の外交にとって希有な人物を失い、次なる活躍の場を奪ってしまった、という悔悟の念に駆られる。

安倍さんの策略にはまった「ノーアベ」運動

安倍さんを嫌う勢力といえば、韓国のそれは尋常ではなかった。2019年夏に始まった「ノージャパン運動」は即ち「ノーアベ」運動だった。ソウル中心部、光化門広場で毎週土曜日に開かれた集会では、参加者全員が「ノーアベ」と書いたプラカードを掲げ、時には安倍さんをかたどった人形に火をつけた。私は何度かそうした反日集会の現場を目撃したが、安倍さんを極悪人のように嫌う韓国人の心情は理解できなかった。彼らは慰安婦問題などで、韓国の望み通りに振る舞わない安倍さんを「歴史修正主義者」と罵倒した。しかし、彼らがいう「歴史」とは、自分たちがそうあらねばならないと偽造した歴史、フィクションであり、そんなものに日本人が付き合う謂われはどこにもない。韓国の人々は、隣国の首相である安倍さんを糾弾し、否定することで、何かを得ることができると思ったのだろうか?隣国の国民が選んだ首相を、選挙権もない韓国の人たちが退陣に追いやれるわけもない。結果的には何も得るものはなかった、独りよがりの虚(むな)しい運動に過ぎなかった。

その「ノーアベ運動」は、日本政府による韓国向け半導体素材の輸出管理強化措置を受けて突如、沸き上がったものだった。そのとき日本が採った措置について『安倍晋三回顧録』では、次のように説明している。(以下、引用部分は太字。ただし「です・ます調」を「だ・である調」に変えている。

韓国は、日本との関係の基盤を損なう対応をしてきた。2018年秋に、日本企業に元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)への賠償を命じる判決を確定させ、その後も何ら解決策を講じようとしなかった。そうした文在寅政権にどう対応していくかという問題が、輸出規制の強化につながった。もちろん韓国の半導体材料に安全保障上の懸念があったのは事実だ。でも信頼関係があれば、もう少し違った対応を取っただろう。政府としては輸出管理の厳格化と徴用工問題は「全く次元の異なる問題だ」という立場をとった。ただ、私は「国と国との約束を守れない中において、貿易管理は当然だ」とも述べた。あえて二つの問題がリンクしているように示したのは、韓国に元徴用工の問題を深刻に受け止めてもらうためだった。>p366

最高裁判決で国と国との約束を破り捨てても平然としている韓国に対して「徴用工の問題を深刻に受け止めてもらう」という安倍さんの狙いは、うまく成功したということになる。結果的には安倍さんの意図通りに韓国は動いてくれた。輸出管理強化は別段、輸出規制でも輸出禁止でもなく、その後も日本から半導体素材は韓国に通常通り輸出されていた。しかし、「輸出規制」という言葉を聞いただけでカッと頭に血が上った韓国民は、日本製品不買運動と日本旅行禁止キャンペーンにすぐに飛びついた。

しかし、その一方で、日本の素材がなければ韓国の半導体製造は行き詰まるという現実を突きつけられて、徴用工の問題は1965年の日韓請求権協定ですでに決着済みという日本の立場を知り、この協定を踏みにじれば日本はどういう反応を示すか、ということを知り、身震いする思いだったのではないか。

そもそも日韓請求権協定では、旧朝鮮半島出身労働者の未払い給与等も含めて賠償問題は「完全かつ最終的に解決」されたことが約束されていた。盧武鉉政権時代に、日本に賠償金を再請求できるかどうか検討したところは、戦時労働者の補償は、日韓請求権協定で日本から受け取った協力金に中に含まれ、日本に再請求することは無理という結論になっていた。文在寅は盧武鉉政権で首席秘書官として、そうした検討作業に参加し、それらの経緯は全て知っていた。

文大統領は、韓国大法院の判断が国際法違反だと分かっているはずだが、反日を政権の浮揚材料に使いたいのだろう。文大統領は確信犯だ。

文在寅は私の前で、司法の判断に困っている、と言う顔をした。「何とかする」というのだが、安倍政権の間、何もしなかった。>p325

安倍さんに言わせれば、文在寅とは、それだけ不誠実で信用できない人物だったということだろう。

もう慰安婦問題の「い」の字も言わない

文在寅は2015年12月の「日韓慰安婦合意」も簡単に反古にした。日本は合意に従って10億円の解決金を支払い、それを元に作られた「和解・癒し財団」から元慰安婦のほとんどに見舞金が支払われた。しかし、文在寅は大統領就任後、この財団を解散させたほか、旧日本大使館前の少女像を撤去するという約束や、国連など国際社会の場で慰安婦問題をめぐって互いに非難の応酬はしないという約束など、「最終的かつ不可逆的に解決した」とした合意は何一つ実行に移さなかった。

慰安婦合意自体は安倍さんにとっても苦渋の政治的決断だった。そうした想いは以下の回想からも伺える。

2015年に韓国と慰安婦問題に関する合意を結んだ時も、保守派からは「韓国に金を出すなんて、安倍は血迷ったか」と厳しく批判された。そういう中で(略)櫻井(よしこ)さんは「このお金は、韓国との手切れ金だ」といった主張をして、保守派を宥めてくれた。>p384

私の謝罪をみんなすっかり忘れてしまったようだが、朴槿恵大統領に電話し(略)心からおわびと反省の気持ちを表明した。強制連行を認めているわけではないが、私も含めて、今後の日本の首相は、慰安婦問題の「い」の字も言わなくて済む合意というつもりだった。>p171

確かに合意は破られたが、日本が外交上、Moral High Ground(道徳的に優位な地位)になったのは事実だ。国際社会に向かって一度合意したことで、私は先方と会う度に「君たち、ちゃんとやれよ」と言える立場になったわけだから。>p173

ここにいう「10億円は手切れ金」「今後、日本の首相は慰安婦問題の『い』の字も言わなくて済む合意」そして「道徳的優位」という言葉からは、どれも安倍さんの並々ならぬ決意を読む取ることができる。そして外務省の尻を叩いた。

<(慰安婦問題について)外務省が戦ってこなかったのは事実。歴史問題は、時が経てば風化していくからやり過ごそう、という姿勢だった。それでは既成事実化してしまう。だから安倍政権では相当変えた。劣勢をはね返そうとした。国境や領土は断固として守る、中韓は国際法を遵守せよ、という主張を強めた。韓国大使はもちろん、元慰安婦を象徴する少女像が設置されたドイツ大使らにも明確に指示した。「劣勢でも戦え。テレビに出て堂々と反論しろ。ゆったりワイン飲んでいる場合じゃないぞ」と。>p326

ところで、河野太郎を外相に任命した際には、日本の官憲による強制連行を認めた父・河野洋平の慰安婦に関する談話について、安倍さんは「河野談話の『こ』の字も言うなよ」と釘を刺し、「安倍政権は河野談話を見直すと言う立場はとっていない。ただ、私は全くあれがいいとは思っていない。すべては(安倍政権の)戦後70年談話だ。70年談話に則って対応していくと言ってくれ」(p269)と命令した。河野太郎はそれを忠実に守り、在任中、記者会見で河野談話について聞かれても、それにはひと言も触れず、戦後70年談話に則ってやっていると答えている。

慰安婦問題も徴用工問題も安倍さんにとって戦後レジームを断ち切り、日本の子どもたちに将来にわたって「謝罪」し続ける運命を背負わせてはならない、という政治課題でもあった。

拉致問題と対北朝鮮政策

安倍さんが辞任表明をした2020年8月28日の記者会見で、「拉致問題をこの手で解決できなかったことは痛恨の極みだった」(p445)と述べ、「志半ばで職を辞するのは断腸の思い」とした、ロシアとの領土交渉や憲法改正問題より先に拉致問題を挙げた。拉致問題と北朝鮮問題は、それだけ安倍政権にとって重い課題だったが、その一方で、韓国の文在寅とその政権スタッフによる希望的な観測や軽率な思い込みに振り回されることにもなった。

平昌五輪を契機に南北対話と米朝首脳会議への流れが一気に加速する。その頃、北朝鮮を訪れ金正恩に会談した韓国の徐薫(ソフン)国家情報院長らが2018年3月、来日し、日本側にも会談結果を報告した。

私は徐薫から詳細な説明を受けたが、どうも、話を盛っている気がした。徐薫は『北朝鮮は、核やミサイルを放棄する。だから休戦状態の朝鮮戦争を終わらせて、平和協定を結ぶことができる。金正恩は立派な方だ』と話した。(略)徐薫は金正恩の言葉として「自分の安全は、米国によって確保されている。経済発展を目指し、海外からも投資を呼び込む」と話したことを紹介した。徐薫は、北朝鮮は日本と国交を正常化し、日本の援助も受ける道を選ぶだろう、とも語っていた。でも、どこまでが金正恩の意思で、どこからが韓国の希望なのか、よく分からなかった。それだけイケイケだったということだ。>p291

それから5年後の今の北朝鮮と金正恩の現状をみれば、核やミサイルを放棄するつもりなど鼻からなかったことは明らかで、徐薫が安倍首相やトランプに対しても明々白々のウソを言い放っていたのは間違いない。徐薫は「北朝鮮のスパイ、代理人」とも言われ、国際社会を欺しペテンにかけた稀代の詐欺師だ。そして北朝鮮軍によって射殺された自国公務員を見殺しにし、死刑になると分かっていて北朝鮮漁民を強制送還させた罪などで、今や刑事被告人になっている人物だ。

文在寅は「もう戦争は起きない。朝鮮戦争の終戦を目指すと言い、米朝首脳会談に向けた環境を整えようとした。私はトランプに「文在寅は楽観的すぎる」と言ったが、分かってもらえなかった。>p295

文在寅も北朝鮮に肩入れし、米国や国連を巻き込んで朝鮮戦争の「終戦協定」を締結しようとしたが、逆に金正恩からは約束違反をなじられ、妹の金与正からは「茹でた牛の頭」「韓国は3歳児の知能」などとバカにされる結果となった。それに対して文在寅は反論もしていない。

一方、韓国の甘い誘いに乗り、米朝首脳会談で歴史的な取引き(ディール)を行ないたいと功名心に走ったのがドナルド・トランプだった。そのトランプと信頼関係を築いた安倍さんは、時には1時間半にも及ぶ電話にも付き合い、トランプに対して世界情勢や各国の指導者に関する評価などをアドバイスしていた。

安倍さんは、米朝首脳会談で安易な取引きをし、北朝鮮に対する制裁を弛めることには強く反対していた。しかし、トランプは米朝首脳会談に前のめりで、安倍さんの説得には耳を傾けなかった。

トランプは国際社会で、いきなり軍事行使をするタイプだ、と警戒されていると思うが、実はまったく逆。彼は根がビジネスマンだから、お金がかかることには慎重で、お金の勘定で外交・安全保障を考えていた。例えば「米韓合同軍事演習には莫大な金がかかってもったいない。やめてしまえ」と言う。>p294

もし、「トランプが実は軍事行動に消極的な人物だ」と金正恩が知ってしまったら、圧力が利かなくなってしまう。だから、絶対に外部に気づかせないようしなければならなかった。「トランプはいざとなったらやるぞ」と北朝鮮に思わせておく必要があった。私だけでなく、米国の安全保障チームも、トランプの本性を隠しておこうと必死だった。>p295

軍事行動に慎重なトランプのことを金正恩が知ったら制裁の効果がなくなると危惧した安倍さんはホワイトハウスの安全保障チームと裏で手を結び、金正恩に悟られないように協力しあったと告白しているのだ。このことをトランプが知ったらどう思うだろうか。

この『回顧録』が世に出たあと、国会では立憲民主党の議員が、閣僚に対して「本に書かれている安倍さんの発言は本当か、これをどう思うか」などの質問が相次いだ。あまりに機微に触れる発言も多いものだから、「公務員の守秘義務違反に当たるのではないか」という指摘もあるぐらいだ。

しかし、欧米の政治家や閣僚が辞任から日をおかずに自叙伝や回想録を出版するのはよく見られることで、安倍さんの暗殺事件がなく、今も活躍していたら、この出版は数年先延ばしされた可能性もあるが、仮に10年,20年後に出版されてもあまり注目されることはないかもしれない。決してあってはならない暗殺テロ事件だったが、安倍さんの死から半年ちょっとでこの回想録を手にすることが出来たのは、安倍さんの死を無駄にすることなく、その志を記憶に留めるための貴重な機会だったと思いたい。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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