中国「戦狼外交」に対抗する「パブリック・ディプロマシー」の重要性

外交を政府や外務省だけに任せている時代は終わった。世はまさにAIによる多言語翻訳機能で、誰でもネットやSNSを通じて自分たちの主張や反論を海外に直接訴えかけることができる。隣国の中国や韓国との歴史認識の違いや、相互理解が困難な状況を考えると、相手が納得しようがしまいが、日本の立場や考え方を国民みなが発信し続ける必要がある。

「パブリック・ディプロマシー」という言葉がある。日本語では「広報文化外交」とも訳されるが、近年、日本政府もこの「パブリック・ディプロマシー」の重要性に気づき、「広報文化外交」に力を入れているという。外務省によれば、パブリック・ディプロマシーとは「伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動」のことで、「グローバル化の進展により、政府以外の多くの組織や個人が様々な形で外交に関与するようになり、政府として日本の外交政策やその背景にある考え方を自国民のみならず、各国の国民に説明し、理解を得る必要性が増してきている」と説明する。

<外務省ホームページ よくある質問集 広報文化外交>

要するに、国民を総動員した「対外宣伝の総力戦」こそ、「パブリック・ディプロマシー」の神髄と言えるのではないか。ところで、「広報“宣伝”外交」の一方の極みといえるのが、中国の「戦狼外交」だろう。こちらは、相手国の理解増進を求めるというより、相手国を恫喝・威嚇し、その国民を委縮させることに目的がある。呉江浩駐日中国大使の、日本が台湾の独立に加担すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」などという発言はその最たるものだ。この発言に対しては「外交官として常軌を逸した暴言」「ペルソナ・ノン・グラータとして追放すべき」など怒りの声が沸き上がった。

<産経新聞2024/5/30「中国の呉江浩駐日大使の「日本の民衆が火の中に」発言の詳報」>


豪州を舞台に中国「戦狼外交」と闘った日本大使 

オーストラリア駐在日本大使を2020年12月から2023年4月まで務めた山上信吾氏の回顧録『中国「戦狼外交」と闘う』(文春新書2024・2)を読んだ。オーストラリアでなぜ、中国の「戦狼外交」と闘わなければならなかったのか。この本を読んで分かったのは、「戦狼外交」との闘いは日本外交の課題であるだけでなく、「習近平独裁体制下の中国とどう向き合うか」という、いま世界の多くの国が直面する外交課題でもある、ということだ。

山上大使は、豪州着任1か月目に、オーストラリア・フィナンシャル・レビュー(AFR  The AUSTRALIAN FINANCIAL REVIEW)紙のインタビューを受け、その独占インタビュー記事が2021年1月29日付紙面の1面と8面に掲載された。その記事のタイトルはPush back China, urges new Japan envoy (中国を押し返せ、日本の新外交使節が促す)と題されていた。ただし、山上大使が直接こうした言葉をつかったわけではなく、編集者がつけたタイトルだったが、中国に対してかなり辛辣で刺激的なタイトルだったことは間違いない。しかし、実際のインタビューの中身は、日豪関係は伝統的に互いの貿易や投資を最も重視してきたが、これからは安全保障面での情報共有や、多国間及び地域間の対話が重要になるとし、軍事支援も南シナ海だけではなく、東シナ海、それに北朝鮮の船に対する監視活動を含めて日豪が協力できる領域は広がっているとした。そして、尖閣での中国漁船衝突事件をきっかけに中国はレアアースの対日輸出を制限したが、WTOに提訴してWTO違反の裁決を勝ち取ったことなど、日豪両国は対中政策や中国との貿易をめぐって経験をシェアし、協力できることは多いとし、「豪州は決して一人ではない。日本と同じ船に乗っている」とエールを送ったものだった。

しかし、こうしたインタビュー記事をきっかけに、山上大使への風当たりも強まることになる。まず、従来から親中的な政策をとってきた労働党の論客からは、豪州の中国政策に口出しするなという警告を受けた。そして駐豪中国大使からは公式の記者会見の場で「日本大使は自分の仕事を適切にしていない」、「日本大使は歴史をよく知らない」などの発言で攻撃を受けることになる。まさに「戦狼外交」の刃(やいば)が山上大使の身に直接降りかかる事態になったのだ。

経済で中国に依存、中国寄りだった歴代豪州政権

ところで、オーストラリアといえば、中国への鉄鉱石や小麦など農産物の輸出が貿易の多くを占め、経済は中国に依存する傾向が強かった。また労働党を中心に歴代の政権は、中国に対して融和的な姿勢を示し、親中派のケビン・ラッド(労働党)政権(2007-2010年,2013年)のもとで、QUADは対中国包囲網だとして日米豪印4か国対話からの離脱を表明し、ジュリア・ギラード(労働党)政権(2010-2013年)は、習近平政権の中国と「戦略的パートナーシップ」の関係を樹立した。またトニー・アボット(自由党)政権(2013-2015年)では豪中FTAの成立とAIIB(アジアインフラ投資銀行)加盟が成立した。しかし、その後のマルコム・ターンブル(自由党)政権(2015-2018年)下では、中国に対する安全保障上の懸念の高まり、スコット・モリソン(自由党)政権(2018年~2022)では、新型コロナウイルスの中国での発生源をめぐって徹底調査を求めたことで、中豪関係は決定的に悪化。中国は豪州産ワインや牛肉、大麦などに制裁関税を課した。現在のアンソニー・アルバニージー(労働党)政権(2022年~現在)下で、中国との貿易関係の立て直しが試みられ、豪州産ワインへの制裁関税が今年3月、ようやく撤廃されることになった。

<財務省「豪州と中国の二国間関係~豪中対立の行方~」>

つまり豪州は従来から、中国を最大の貿易相手国として重視し、労働党政権を中心に「親中国」的な政策をとる政権が多かった。中国としても米国に対抗し、西側諸国の一角を切り崩して、太平洋諸国に橋頭堡を築くためにも、豪州との関係を重視し、そのための経済・外交資源を投下し、硬軟とりまぜての圧力もかけながら、いわば「戦狼外交」の最前線としてきたのである。

一方、日本にとって豪州は、対中国政策でこれまで必ずしも同じ方向を向いていたわけではなかったが、その豪州がQUAD(日米豪印)やAUKUS(米英豪3か国軍事同盟)といった安全保障の枠組みのなかでしっかりとその存在と役割を発揮し、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の基本原則や考え方(法の支配、自由な航行、自由貿易など)を共有する国として、堅固な協力関係を構築・維持することが日本の外交課題となっている。


メディアの取材は原則断らない すべて受ける

オーストラリア駐在日本大使として、山上信吾氏が力を注いだのも、そうした外交課題をクリアするための「パブリック・ディプロマシー」(広報文化外交)だった。

山上大使は、原則、メディアの取材やインタビューは拒否せず、すべてに応じるという姿勢を貫いた。

在豪州日本大使館のウェブサイトを見ると、山上大使がいつ、どのメディアの取材やインタビューに応じたか、リストが掲載されている。それによると日本のメディアを除く現地メディアの取材・インタビューだけで、2021年は30件、2022年は42件、2023年は3月までに10件を数え、英語の講演、スピーチ、祝辞・挨拶は、2021年33件、2022年56件、2023年は3月までに8件を数える。そのほか在豪州日本大使館のウェブサイトに“News From Under the Southern Cross” (南半球便り)という毎回長文の英文コラムを掲載し、その数は2021年1月から23年3月までに102回を数える。大使としての日常業務のほかに、これだけの取材を受け、毎回の講演やコラムのための文章作成に費やす時間は、売れっ子作家や敏腕記者に比べてもはるかに多いはずだ。要するに「パブリック・ディプロマシー」のためには、それこそ身を削るほどの日夜の努力が必要だということを示している。

ツィッターへの投稿もメディアに大きく取り上げられた

ところで、そうした山上大使の「パブリック・ディプロマシー」の活動の一環のなかで、大使がX(旧ツィッター)に投稿した写真と一文が、オーストラリアのメディアに大きく取り上げられたことがあった。カササギのことを英語では“マグパイ”(Magpie)というが、豪州では毎年8月ごろに、カササギフエガラス(鵲笛鴉)がひなを守るために、攻撃的になり、人間を襲う被害が多発している。その行為を「マグパイアタック」と呼ぶ。山上大使はそうしたマグパイからの攻撃を回避するために、サイクリングの際、ヘルメットに割りばしを立てて防護する様子を映した写真をツィッターに投稿し、「親愛なるカササギよ、休戦にしないか。ヘルメットを追いかけたいという衝動に駆られたら、無料の箸を持っていってくれ。寿司と和牛の香りがします」とユーモアたっぷりの文章を添えた。

これに豪州の各メディアが反応し、山上大使のツィッターを大きく取り上げると同時に、あろうことか、豪州駐在の中国大使の台湾問題に対する「戦狼外交」的な態度と比較して論じたのである。

<yahoo!news 2022/8/28 Response to ambassador's 'legendary' photo highlights Aussie misconception>

そのころ、新たに着任した肖千(Xiao Qian)駐豪中国大使は、ナショナルプレスクラブでの初めての講演で、「台湾との統一のためには、すべての必要な手段も使う。私たちができるもっとも小さいことは、武力行使だ。だから、必要なときには、すべての必要な手段を使う準備ができている。すべての必要な手段とは何か、自分の想像力を使って考えなさい」"As to what does it mean 'all necessary means'? You can use your imagination," さらに「もし台湾が中国に戻ったら、台湾住民に中国のことを理解させる再教育をする」とも宣言した。

<yahoo! news2022/8/10 ‘Use your imagination’:Chinese ambasaador’s’crazy’ response to Taiwan question>

こうした傲慢な発言が豪州国民にどう受けとられたか、想像に難(かた)くない。それが豪州メディアによる、山上大使のマグパイ(カササギ)に対する平和的態度と中国大使の「戦狼外交」発言との比較につながり、さらに日本と中国の対立を浮き立たせることによって、豪州における対中政策についての議論を煽る効果も狙ったともいえる。(ところで以上の話は、筆者がネットで調べた内容であり、山上氏の著書では語られていない)。


「旭日旗」をめぐって後ろから飛んできた矢

山上大使が闘ったのは中国の戦狼外交だけではない。「旭日旗」を否定する韓国の反日勢力にも果敢に闘いを挑んだ。山上大使は、2021年11月に予定されていた在豪日本大使館で行われる自衛隊記念日レセプションで、陸海空・三自衛隊の旗を会場に掲げ、旭日旗の正統な存在をアピールすることを計画した。ところが、この企画を「あたかも体を張らんばかりにして止めてきた」のが当時の森健良外務次官だった。そして、これは「外務大臣の意向だ」とも伝えられたという(当時の外務大臣は岸田文雄から林芳正への交代時期だった)。何のことはない、後ろから矢が飛んでくるとはこのことか。山上氏は「こんなことでは、戦狼外交に対する対応はおろか、旭日旗ひとつに関する広報まで、後手で受け身の回ってしまうのは必至」(同書p209)と嘆く。しかし、山上大使は、代わりに「バーチャル自衛隊記念日2021」という

ウェブサイトを立ち上げ、自らのスピーチで、自衛隊と豪州国防軍の協力関係の進展について写真や動画で紹介し、日豪共同訓練「武士道ガーディアン」や陸上自衛隊演習などの動画リンクを掲載している。

「中国が最も恐れる男」と呼ばれる前中国大使の心意気

ところで、中国の「戦狼外交」に正面から向き合い、「中国が最も恐れる男」と呼ばれた外交官として、垂秀夫前中国大使(在任2020年9月~23年12月)がいる。その垂氏はいま、月刊『文芸春秋』で「駐中国大使、かく戦えり」という回顧録を連載している。中国での情報収集活動の舞台裏や人脈づくり、民主活動家との交流支援、「国家の安全」を最重要視する習近平独裁政権の本質、さらに、尖閣をめぐる民主党政権下での中国との攻防の内幕、福島原発処理水をめぐる中国への情報発信などなど、そこで語られる秘話には興味が尽きない。

その垂氏がもっとも心がけてきたのは「中国の不条理な主張に対しては、日本の国益を踏まえてきちんと反論していかなくてはなりませんが、批判一辺倒でもいけません。言うべきことは言う一方で、少しずつかもしれませんが、日中関係の安定、そして発展に向けて歩みは決して止めない。それが外交官として私が心がけてきたことなのです」(『文芸春秋』2024年2月号)という。

馬鹿のひとつ覚えのように「日中友好」だけを叫んでいればいいという時代は、はるか以前に終わり、いわゆる「チャイナスクール」の外交官も、中国をめぐって世界が抱える現状を直視し、国益に徹した外交戦略が迫られている。それについて、われわれ国民も「パブリック・ディプロマシー」の一翼を担い、中国に対して言うべきことははっきり言うという発信を続ける必要があるのではないか。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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