パリ五輪で「日の丸」が揺れるのを嫌がる反日「朝日新聞」

パリオリンピックの熱戦が終わり、日本が獲得したメダルは金20、銀12、銅13を数え、国別ランキングでは、米国・中国に次いで世界3位となった。猛暑のなか、夢のような時間を過ごさせてくれた各選手の活躍には、ほんとに頭がさがる。

ちなみにお隣・韓国が獲得した金メダルは目標を大きく上回る13個で、サッカーやバレーボールなど団体球技の出場権が得られず過去最小規模の選手団派遣だったが、過去最多の金メダル獲得だと狂喜乱舞している。メダル獲得の予想を誤ったのは選手を信頼できず、計算ができなかったせいだろう。

「日の丸」が「軍国日本の象徴」だって?本当か?

それはともかく、日本選手団の活躍で、連日のように金メダル獲得のニュースが伝えられ、日本中が日の丸の国旗を揺らして歓喜に沸く中で、8月10日付の朝日新聞に掲載されたパリオリンピックの特集記事「日の丸と 五輪と」には驚いた。今どき、こんなアナクロ記事を書く記者が世の中にはいるのか、というのが正直な気持ちだった。そして、こんな記事を喜んで読む朝日新聞読者がいるとしたら、私とは何か別の時代を生き、別の世界を生きている人たちのように思えた。

記事のサブタイトルには「軍国の影 64年『敬遠する空気』・TVに次々 世論変化し学校統制強化も」とある。そして記事の書き出しは「パリ五輪では、毎日のように日の丸が画面に映る。かつて軍国主義の象徴とも捉えられ、政治問題化した旗。その戦後の歩みは五輪と切っても切れない関係にある」という一文で始まる。

この記事を書いた朝日新聞記者・上地一姫氏にとっては、パリオリンピックの競技会場で日本の応援団が日の丸を掲げて応援し、観客席のあちこちで多くの日の丸が揺れる姿は、異様な光景と映るらしい。そして、金メダルの授賞式で君が代とともにテレビ画面に大写しにされる日本国旗もおそらく見たくないのであろうと勝手に想像する。

なぜ「日の丸」だけが軍国主義の象徴なのか?

日の丸が「軍国主義の象徴」だというのなら、歴史上、侵略戦争を戦ったことがある国の国旗はどこも「軍国主義の国」と言わねばならないはずだ。例えばアメリカの星条旗はどうなのか?米国は歴史的にアメリカ先住民やハワイの地を侵略し、フィリピン人を多数虐殺した米比戦争(1899~1902)、南北ベトナムの戦争(1964~1975)への介入、パナマ侵攻(1989~90),アフガニスタン紛争(2001~2021)などなど多くの対外戦争を戦った国であり、その国旗「星条旗」は、まさに軍国主義を象徴する旗であろう。

そしてフランスの「三色旗」(トリコロール)にしてもナポレオンの欧州遠征やアフリカ大陸やインドシナ半島などへの侵略とその後の植民地経営に際して、はためいたばずの侵略の象徴であり、植民地支配という意味では英国やスペイン、ドイツやロシアなど欧米列強はすべて軍国主義を実行した国といっていい。そして、ベトナムに対して1979年、懲罰戦争と称して一方的に侵攻した中国の「五星紅旗」も、軍国主義の象徴の例に漏れることはなく、現在進行形の形で「一帯一路」と称し、アジア・アフリカ各国や太平洋島嶼国に軍事拠点を設けて中国版植民地政策を実行する中国のプレゼンスを象徴するのが「五星紅旗」となっているはずだ。

そもそも、三色旗とともに歌われるフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで」と歌われ、中国の国歌「義勇軍行進曲」も「立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!」で始まり、「敵の砲火に向かって進め!進め!進め!進め!」で終わる、まさに国民を戦争に駆り立てる軍国主義そのものの歌なのである。

日本の国旗「日の丸」だけがなぜ、永遠に軍国主義の象徴などと言われ続けなければならないのか?

「日の丸」が認知されたのは1964年東京五輪が初めて?

ところで朝日新聞の当該記事「日の丸と 五輪と」によると、1964年東京オリンピックに際して、当時の大会組織委員会で各国の国旗の色やデザインを承認してもらう交渉役の国旗担当」が、「一番困ったのが『日の丸』だった」という回顧談を載せている。そのデザインに戦前から明確な規定がなく、色調などを決めて政府に承認を求めても、「外務省も首相官邸も取り合ってくれず、閣僚の一人からは面会した際に『勘弁してくれ』と言われたという。終戦から20年弱。アジア各国を侵略した軍国日本の象徴であり、多くに国民が日の丸とともに戦場に送られた記憶が生々しかった」と書く。そして、「国民の中に、(日の丸を)敬遠する空気が残っていた。日本政府はそんな日の丸に関わり、責任を問われるのが嫌だったんでしょう」とその「国旗担当」に言わせている。それが、サブタイトルの「軍国の影 64年『敬遠する空気』」という意味だ。

嘘か本当かは確認できないが、仮に閣僚の中にでさえ「日の丸」と関わるのが嫌だと称する人間がいたとしたら、そんな人間は政治家になるべきではなかったし、政治家にそうした発言をさせる社会全体の雰囲気を作っていたとしたら、それは教育現場を支配した日教組という存在があったからだ。そして、朝日新聞の当該記事は、1964年東京五輪を転機に日の丸が「新しい日本を象徴するものにとなった」としつつ、その後の学習指導要領の改訂によって日の丸の掲揚が「教育現場への強制」として進んでいると書くなど、「日教組」的な視点や立場が、この記事を書く動機となっているようだ。「国歌・国旗法」が制定されたのは1999年で、日本国憲法施行から半世紀あまりもたってからというのも時間のかかり過ぎだが、それも日本社会党の消滅以来、過去の遺物になったといってもいい日教組が、体を張って死に物狂いの抵抗を試みたからだ。

朝日新聞が「日の丸」の次に論ずべきは「旭日旗」

そして当該朝日記事の驚くべき内容は、ドイツを拠点に活動する沖縄出身の現代美術家という人物の口を借りて、沖縄における日の丸への拒否感を取り上げながら、「あるとき、アトリエで日の丸を上下ひっくり返してみた。見た目は何も変わらない。でも、『国旗』という役割から解放されたように思えた。見る人によって、見え方が変わってくる。次は、赤一色の円を『虹色にした日の丸の作品もつくってみたい』」という文章で終えていることだ。

日の丸の上下をひっくり返しても凡人にはまったく同一のものに見えるが、芸術家にはそれだけで解放感が味わえるらしい。なんとも不思議な感覚だが、日の丸の赤を虹色に変えたいという発想も、常人には考えられないことだ。要するに朝日新聞の記事は、「日の丸」がどうのこうのと論じても、結局は「日の丸」を否定し、別のものに変えたいという願望があるということなのだろう。「日の丸」の否定は、日本が歩んできた過去と伝統の否定でもある。朝日新聞がパリオリンピックでの日本選手団の活躍を横目で見ながら、「日の丸」の旗が目立ち、その日の丸の旗の下で歩んだ日本の歴史を毛嫌いする「反日新聞」であることがよく分かった。

ところで、朝日新聞に切にお願いしたいのは、朝日新聞の社旗にもなっている「旭日旗」について、朝日新聞社の立場を明らかにする記事をぜひ書いてほしいということだ。周知のとおり、隣国の韓国は旭日旗を「戦犯旗」だと主張し、オリンピックを含めて、世界のあらゆる場面で旭日模様の意匠・デザインの禁止、一掃を国際社会に訴えている。韓国側の主張通りなら、朝日新聞の社旗こそ、まっさきに抹殺する対象だが、当の朝日新聞は慰安婦問題など韓国側の主張に寄り添いながら、社旗になっている旭日旗についてはいっさい立場を明らかにしていない。おかしくないか?

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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