香港人が大合唱した“歌”の記憶がある限り 民主化への希望は消えない②

天安門事件を契機に生まれた「六四歌曲」

1989年4月、穏健派の総書記だった胡耀邦の死をきっかけに民主化を求める学生運動が全国に広がった。北京の天安門広場を占拠した学生らを「反政府動乱」だと規定し、戒厳令(5月20日)を布告、最終的には人民解放軍の銃と戦車で学生らを強制的に排除する6・4天安門事件(6月4日)が起きた。

この天安門事件の前後、民主化を求める北京の学生を支援し、中共政権による血の弾圧を非難するために、香港では人々が街頭に出て、「百万人デモ」と呼ばれる抗議デモや街頭集会を何度も行った。そして毎年6月4日の前後には、事件を追悼するろうそく集会が開催され、会場となったビクトリア公園のテニスコートはろうそくの灯で埋まった。

そうした街頭デモや追悼集会で香港の人たちが声を合わせて大合唱したのが、「香港民主運動歌曲」、あるいは「六四歌曲」と名付けられた歌の数々だった。それらの歌の多くは、いまでも数多くのYoutube動画で視聴することができる。

天安門事件直後の数年間、私は香港に駐在した経験がある。耳に記憶として残っているメロディーと心を震わせる歌詞のひとつ一つを思い出すだけで、一瞬にして当時の雰囲気が蘇り、たちまち当時の香港の人々の心情に連なることができそうな気がする。私たち駐在員が歌うのはせいぜいカラオケバーかスナックだったが、それでも当時流行っていた「血染的風采(シュエランティフォンツァイ)」という歌を中国語で覚えて歌った記憶がある。「血染的風采」とは、中国がベトナムに侵攻した1979年の中越戦争を歌った歌で、「私が戦場で倒れて立ち上がれなくなっても、悲しまないで。共和国の旗は我々の血で染まっているのだから」と歌う。それが天安門事件の後には、天安門広場で犠牲になった学生たちを歌う歌に変わり、香港では民主化ソングとして歌われるようになった。

ところで以下のYoutube動画は習近平夫人の彭麗媛がこの歌を歌っている動画である。もちろん天安門広場の学生ではなく、対ベトナム戦参戦兵士を歌ったものである。

<映像:第一夫人彭丽媛演唱《血染的风采》>

民主化支援コンサートで歌われた「六四歌曲」

これらの「六四歌曲」が一堂に披露されたのが、北京に戒厳令が発令された直後の1989年5月27日、香港ハッピーヴァレー競馬場で開かれた「民主歌聲獻中華」(民主の歌声を中華に献ずる Concert for democracy in China)と題された民主化支援コンサートだった。

このコンサートは北京の学生を支援するための義援金を募ることを目的に、香港の歌手や芸人、映画関係者など150人が参加し、午前10時から夜10時まで12時間にわたって開かれたマラソンコンサートだった。集会では1200万香港ドルの義捐金が集まり、これをきっかけに「香港市民支援北京民主運動聯合會」(支聯会)が結成された。これ以後の香港民主化運動を組織し、毎年の天安門事件追悼集会を主催した組織である。

全12時間のコンサートの模様は139編の動画にまとめられ今もyoutubeで見ることができる。

<民主歌聲獻中華 為自由 大合唱 001/139>

そして、このコンサートの最初と最後に歌われたのが「為自由」(自由のために)という歌だった。

以下に、「為自由(ウェイツーヨウ)」と「自由花(ツーヨウファ)」という歌の中文歌詞を紹介し、わたくし流の日本語訳をつけてみる。(歌詞の繰り返しの部分は一部省略した)


「為自由」(作詞:唐書琛 作曲:盧冠廷)

騰騰昂懷存大志,凜凜正氣滿心間,

意気揚々として大志を抱き 凛凛しい気概が胸に満ちる

奮勇創出新領域,拚命踏前路。

勇気を奮って未来を切り開き、命をかけて前に踏み出す。

茫茫長途憑浩氣,你我永遠兩手牽,

遥かな道も揺るがぬ信念を頼りに、君と私は永遠に手を握る

奮勇創出新領域,濺熱汗,卻未累,濺熱血,卻未懼。

未来を切り開くために たぎる汗にも疲れず、ほとばしる血潮も恐れない

愛自由,為自由,你我齊奮鬥進取,手牽手。

自由を愛し、自由のために、私たちはともに戦い、手と手を握る。

揮不去,擋不了,壯志澎湃滿世間,繞千山。

振り払うことも止めることもできない、大きな志は天下に満ち千山をめぐる。


「自由花」  (作曲:鄭智化 作詞:周禮茂)

忘不了的 年月也不會蠶蝕     忘れることはない 年月も浸食することはできない

心中深處始終也記憶那年那夕    いつも心の底に宿る あの頃の記憶

曾經痛惜 年月裏轉化為力     過去の悔しさは 年月を経て力へと変わる

一點真理 一個理想永遠地尋覓   一つの真実と一つの理想をずっと求め続けてきた

悠悠長長繼續前航不懂去驚怕    遙かに長い航海を 恐れも知らず続けてきた

荊荊棘棘通通斬去不必多看它    いばらの道を切り開いても振り向く必要はない 

浮浮沉沉昨日人群雖不說一話    浮き沈みが激しくても人々は何も言わなかった

不想清楚分析太多真心抑意假    本物か偽りか はっきりとさせたいとは思わない

但有一個夢 不會死 記著吧    でも夢があるから死ねない それを忘れないで

無論雨怎麼打 自由仍是會開花   どんなに雨に打たれようとも自由の花は必ず咲く

但有一個夢 不會死 記著吧    でも夢がある 死ぬわけにいかない 覚えておいて

來自你我的心 記著吧       それは私たちの心からのもの 忘れないで

忘不了的 留下了不死意識     忘れることはない 死なないという意識を留めたこと

深深相信始終會變真某年某夕    いつかは真実になると本気で信じていたあの頃

如此訊息 仍賴你跟我全力     その応えは 私たちの全力にかかっている

加一把勁 將這理想繼續在尋覓   さあ元気を出して この理想を探し続けよう

聴いていただければ分かると思うが、どちらの歌も軽快なメロディーで、覚えやすい。つまり、一度聴いたら、忘れられない曲になる。そして歌われる歌の中身は、香港の人たちの自由への憧れ、狂おしいほどの自由への渇望が歌われている。一度でも思いの限りに声に出し、その時その場で初めて出会った人々とともに声を合わせて、これらの歌を歌ったという記憶は、その時その場で味わった感動や涙、心に秘めた決意などとともに決して忘れられるものではないはずだ。

香港の市民が、かつて歌った“歌”の想い出とともに抱く集団的な記憶や心理が、今後の香港社会にどういう影響を与えるのか、そして習近平政権や李家超行政長官率いる香港政府が、こうした集団的記憶や心理に対して、どう向き合おうとしているのか、興味は尽きない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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