中国とどう向き合うべきか⑦

8)語られなかった歴史の真実

・中国と向き合うとき、日本人には必ず歴史問題が突きつけられる。彼らにとって歴史とは、自分たちの正統性を示す手段、政治目的のプロパガンダに過ぎない。彼らの言い分には、そう主張しなければならない彼らの都合、理由があるだけで、歴史の真相は二の次である。一方で、彼らには彼らの都合で、意図的に触れない歴史もある。その例を以下の本から二つ紹介する。

・劉震雲「人間の条件1942~誰が中国の飢餓難民を救ったのか」(劉燕子訳集広舎2016)

 1938年、日中戦争のさなか、蒋介石率いる国民党軍は、日本軍の進攻を阻止するため黄河の堤防を自ら破壊する作戦を行った。いわゆる黄河決壊事件だ。氾濫は河南省など3省に及び、水死者100万人、被害者は600万人にも達する大惨事だった。当時、国民党政府はこれを日本軍の仕業だと主張し、プロパガンダに打ってでたが、その嘘はすぐに暴露された。被災民救援のための船を出し、堤防の修復、排水工事に当たったのは日本軍だった。一方、国民党軍は、日本軍と中国人住民が協力して洪水を食い止めていたところを逆に攻撃し、暴虐の限りを尽くした。

それから4年後、黄河決壊の被害にあった同じ河南省一帯は、1942年から3年間にわたって大旱魃と蝗害(イナゴの害)に襲われた。食料不足で3000万人が飢えに苦しみ、死者300~500万、省外への避難民は300万人に達したという。過酷にも、この間も、蒋介石政権は、農民に課税し、種モミさえ徴発した。

1944年、河南省に進軍した日本軍は、住民の窮状を見て、国民党軍の軍糧を放出させ、粥の炊き出しなどで飢餓難民を救済した。蒋介石の苛斂誅求に苦しみ、逆に日本軍に救われた農民たちは、その後、率先して日本軍の道案内に立ち、国民党軍の武装解除にも立ち会って協力した。その結果、河南に進攻した日本軍6万人は、わずか数週間で国民党軍30万人を壊滅させた。これは「河南の会戦」(1944)と呼ばれ、日本軍側の戦史にもしっかり記録されている。また劉震雲のこの本(原題「温故一九四二」2006)をきっかけに2012年には映画化された。

・遠藤誉「卡子(チャーズ)中国建国の残火」~封じられた中国建国史の闇~(朝日新聞出版2012)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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