朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長の死を、単なる「自殺」として永久処理してはならない。「死人に口なし、死んでしまったらそれでお終い」とは決して、してはならない。死んでもなお、追及しなければならない問題が多すぎるからだ。
元慰安婦をはじめ女性の人権を擁護する人権派弁護士として名前を売ってきたにも関わらず、自らが常習としてきたセクハラ行為で訴えられた途端、その恥ずかしさと見っともなさで、自らの命を絶ったなどというナイーブさを持った人格とはとうてい思えない。
かつて、日本の侍は、あるいは先の大戦中の特攻隊員も、義のために自分の命を捨てることにためらいはなかった。いくら不条理であっても、正義、正しいこと、信義、自分の信じることのために絶対に譲れないと思ったら、躊躇なく刀を抜き、命を絶った。それだけ「名誉ある死」、「いかに死ぬか」ということを重んじた。そして名誉ある死のためには、「いかに生きたか」がどれほど重要であるかを知っていた。義=正しいことを行おうと思ったら、いかに礼と信が大事か知っていた。礼=相手のことを想う、信=嘘は言わない、この礼と信があれば人間、義=正しい道を歩むことができる。信義のないところに礼=人間関係や国家同士の外交関係は生まれない。どれもこれも、朴元淳氏や韓国という国柄に当てはまることだ。
韓国の国柄とは、少女像のまえに額づく日本の首相の像を作っても何の痛痒も感じない国のことを指す。自分たちこそが文明の中心、「小中華」を称した儒教の国に、なぜここで、儒教の根本的な条理を教えなければならないのか。しかし今、国会で5分の3近くの議席を背景に、国会審議なしに重要法案を次々と単独可決し、いまや「左派独裁政権」と言われる文在寅政権と与党「ともに民主党」に、いくら高邁な理念を振りかざしても、聞く耳は持たないだろうから、言っても徒労に終わるだけだ。
それにしても、朴市長という盟友の死について、今に至るも文在寅大統領が正式なコメントを発していないのも不思議なら、警察からは、詳しい遺体の実況検分の結果やその死因もいまだに発表されていないのも奇怪だ。遺体発見に至る経緯も疑問だらけだ。娘から警察に「父親が行方不明で連絡がとれない」と捜索依頼の通報があったのは7月9日午後5時過ぎと言われるが、実際には、遺体発見現場となる青瓦台のすぐ裏の山林、フィンランド大使公邸の近くでは、その前の9日午後2時過ぎから警察が立ち入り禁止の警戒線を張るなどの動きがあり、午後5時過ぎには「遺体発見」の一報があったが、それはすぐに誤報だとして取り消されたという。遺体発見と身元確認は、10日午後0時過ぎと報道されているが、遺体は焼かれたあとのようにひどく損傷した状態で、顔からようやく本人と判別できたといわれる。そして、その遺体収容に際しては、厳重な化学防護服を着た科学特別捜査班が出動し、遺体袋にいれて搬出する様子が写真に撮られ、報道されている。VXガスで殺された金正恩の異母兄・金正男のように、遺体は猛毒の化学物質による毒殺も疑われるような状態だったのではないかという噂が飛び交っているそうだ。
ところで、朴元淳市長は8日夜の段階で、元女性秘書からセクハラ被害で告発を受けたという報告を受けたあとも、予定にあった知人との会食を普段通りの表情でこなし、その日の夜は、詳しい告発内容について確認したあとに翌日の昼12時ごろ記者会見を開くことに決めて、市長公邸に戻ったと言われる。しかし実際には、翌日朝には、体調不良を理由に朝食の会合予定をキャンセルし、午前10時40分には「やむを得ない事情で、本日は登庁しない」という連絡をマスコミ各社に発表。その直後の10時44分、黒の帽子をかぶり、黒のリュックサックを背に歩いて公邸を出たことが監視カメラで確認されている。家族には「正午(12時)ごろには帰ってくる」との言葉を残して外出したという。実は、その前、午前10時10分に、コ・ハンソク秘書室長が市長公邸を出る姿が同じく監視カメラで確認され、午前9時過ぎから1時間ほど市長と会っていた。コ秘書室長は、午後1時39分ごろ、朴市長と携帯電話で最後の通話をしていることが通話記録でも確認されている。その後、携帯の電波は途切れ、それ以後、通話できなくなっている。秘書室長は「早く山から下りて自宅に戻るよう説得した」とのことだが、いずれにしても朴市長と最後に顔を合わせ、死の直前に話をしたのは、この秘書室長しかいない。
<WoW!Korea 7/16「ソウル市前秘書室長、故ソウル市長に下山するよう最後の通話で説得」>
しかも、元女性秘書のセクハラ被害については、秘書室の当事者としてすべてのことを知っていたはずだし、あるいはシャワーを浴びる市長のために下着の用意を命令するなど、ある意味、加害者として市長と同列の存在だったかもしれない。コ・ハンソク秘書室長は、その後、警察から複数回にわたって20時間に及ぶ事情聴取を受けたという。当然のことだ。彼こそが、朴市長の死の直前の動静や事件の背景、セクハラ行為を含めた市長のすべての行動を知っているはずだからだ。朴市長の死の背後には、もっと「大きな力」が働いた可能性があるという見方もある。
ところでコ・ハンソク秘書室長を含め、歴代の秘書室幹部は、朴元淳氏の市長当選に伴って任用された特別職で、そのほとんどは朴市長が市民運動を行ってきた当時の同じ活動家だった。今回、セクハラ被害を訴えた元女性秘書が勤務した2015年7月から2019年7月までの4年間に秘書室長を務めたのは4人で、そのうちの徐正協(ソ・ジョンヒョプ)氏(在任2015年3月~16年6月)は現在の市長権限代行であり、許栄(ホ・ヨン)氏(在任16年7月~17年2月)は現在与党「ともに民主党」国会議員である。この二人を含め、朴市長のセクハラ行為を知っていたはずの歴代の秘書室長はみな口を閉ざし、マスコミの質問に答えていない。朴市長の葬儀を5日間もかけて市民葬として行うことや遺体を13日には火葬にすることに決めたのも、徐正協市長代行である。なぜそこまで急ぐ必要があったのだろうか?
さらに文在寅大統領を含めて、朴市長の自殺については、口を閉ざして何も発言しないことで、永遠の忘却の彼方に追いやろうとしているように思える。それこそ「そんなことは絶対に許すまじ」である。
朴市長はなぜ死を選んだのか?死を選ぶ理由として女性秘書に対するセクハラ行為があったとしたなら、なぜ被害者に対する謝罪がなかったのか?慰安婦問題やセクハラ訴訟において、彼が弁護士として主張してきたことと、自身が実際に行ってきた行為がまったく矛盾するのはなぜなのか?
本人はもはや答えられないとしても、同じ信念・思想を持ち、同志として同じような活動をしてきた文在寅氏とその与党、同じ左派の市民活動家らは答える義務があるのではないか。彼らはたぶん、答えられない、答えたくない、と思っていても、我々はこれからも忘れずに、以下の問いを発し続けるであろう。
朴元淳という人物は、韓国の民主化のために実際、何をした人なのか?民主化と市民運動のなれの果てが、国が左右に真っ二つに分断した今の姿なのか?女性への差別撤廃、人権擁護を訴えてきたというが、その具体的な成果とは何か?自身を含め釜山市長、忠清北道知事など、人の上に立つ政治家自らの性暴力をどう弁護するのか?恥ずかしいことに今やニュージーランドなどとの外交問題にも発展している各国駐在韓国人外交官による度重なるセクハラ行為をどう説明するのか?さらには韓国芸能界に蔓延している性売買とその犠牲となった若い女性たちの自殺が跡を絶たないのは何故か?SNS上では、女性の人格を無視し、侮蔑した情報のやり取りが横行し、犯罪の温床になっているのは何故か?これが女性ジェンダー問題を専門に扱ってきた弁護士の活動の成果だと胸を張って言える実態なのか?
そして日本人としては、慰安婦問題に初期からたずさわり、挺対協(挺身隊問題対策協議)の発足に関わった当事者であるからには、ぜひとも問わなければならない。20万人にも及ぶ十代の女性を強制的に戦場に駆り立て「慰安婦」にしたというのは本当か?彼女らが強制的に連行されたその時、親・兄弟や周囲の人は何をしていたのか?戦後、彼女らは戦場で殺されたと主張しているが、その虐殺された現場を調査し、遺骨の収集にでも当たったことがあるのか?彼女らを「性奴隷」だと称し始めたのは朴元淳氏が最初だが、何を証拠にそう主張するのか?「元慰安婦」だと称する李容珠(イ・ヨンス)氏自身が「性奴隷」という言われ方を嫌っていることをどう思うのか。そして、今、韓国で大きな問題になっている尹美香(ユン・ミヒャン)氏を中心にした挺対協や正義記憶連帯の不正会計問題については、ひと言も発言することなく、逝ってしまったが、挺対協など慰安婦団体を聖域扱いにし、誰もが批判も監視もできない存在にしたのは朴元淳氏であり、巨額の支援金をそれらの団体につぎ込むために、ソウル市の予算支出を決めたのも朴市長自身である。尹美香氏と挺対協の不正会計問題に関する検察の捜査は遅々として進んでいないが、たとえ検察の捜査で真相が暴かれなかったとしても、不正があり疑問が解決されていないことを、こうして何度も取り上げ、問い続けていくことになる。
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