政権交代は「韓国に学べ」は本当か?
安倍首相が7年8か月にわたる長期政権に自ら終止符を打ち、後継に菅義偉官房長官が就任することが確実になった。総裁選に立候補した岸田政調会長が「分断から協調へ」、石破元幹事長が「納得と共感」を主張し、安倍路線の「修正」や「転換」を訴えているのに対し、菅氏は安倍路線の「継承」をしっかりと謳っている。安倍長期政権の功績は何と言っても、「自由で開かれたインド太平洋」という世界戦略を掲げ、同じ価値観を共有する国との価値観外交を繰り広げた外交に特筆される。それによって、世界の中の日本の存在感を高め、価値観の異なる中国や韓国に対しても、ぶれることのない外交を展開することができた。その路線をしっかり引き継いでくれるのは、やはり菅氏しかいないかもしれない。
ところで、そうした安倍長期政権のなかで、集団的自衛権の限定行使を認める安全保障関連法や特定秘密保護法の法案審議に際し、国会周辺には野党支持者や法案に反対する市民グループが集まり、連日、「安倍辞めろ」を念仏のように唱える安倍糾弾集会が行われていた風景が思い出される。市民の数の力、声の大きさで、政治を変えようと願うそうした市民グループのなかからは、お隣の韓国で朴槿恵政権を転覆させた「ろうそく集会」を見て、「韓国にできて日本ではなぜ出来ないのか」と嘆く声が聞かれた。
政治は映画的な感情論では変わらない
とりわけ、1980年の光州事件を描いた韓国映画「タクシードライバー」や大統領直接選挙への道を開いた民主化宣言までの民主化闘争を描いた「1987」、さらに2008年メディアへの露骨な政治介入をした李明博政権に抵抗したジャーナリストたちを描いたドキュメンタリー「共犯者たち」を見た人たちは、韓国を民主化運動の先進モデルでもあるかのように錯覚し、何故か憧れの目を注ぐようになった。「反安倍」を標榜し、「安倍下ろし」を画策する人たちにとって,韓国の「ろうそく革命」や「広場民主主義」は、政権交代の理想の姿に映ったに違いない。
わたしはかつてこのブログで、映画「1987」が日本で話題になったころ、韓国を日本の政治改革の見本のように持ち上げた左派系市民グループや左派メディアのそうした気分を批判的に論じたことがある。
<本ブログ「韓国映画に見る民族分断の歴史②」2018年11月を参照>
曲がりなりにも、民主的な手続きである「選挙」を通じて選ばれた一国の指導者を、民衆の数の力、声の大きさだけで変えてしまうことには、何か胡散臭さを感じた。選挙の結果が、デモで簡単に覆されるとしたら、そもそも民主主義の基礎であり、国民が主権を行使する唯一の手段であるはずの選挙とはいったい何だったのか。選挙結果を、民衆の声の大きさという「国民情緒」だけで、簡単に覆すことができる韓国の政治・司法の実態には違和感があり、そんな「韓国に学べ」という日本の左派系市民グループの主張にはついて行けなかった。
朴元淳ソウル市長を持ち上げる日本の自治労
そんな中、「日本の政治を変えるために韓国に学べ」と主張する本が2018年3月に日本で堂々と出版されていた。それは白石孝編著『ソウルの市民民主主義 日本の政治を変えるために』(コモンズ)という本である。
この本の一章には、『世界』(岩波出版)2017年8月号に掲載された朴元淳ソウル市長の講演録が「キャンドル市民革命が変えたこと,これから変えるべきこと」というタイトルで再録されていて、韓国の「ろうそく革命」の成果と朴元淳ソウル市長の業績を称揚する本となっている。
朴元淳氏はこの講演のなかで、「キャンドル市民革命」(朴槿恵大統領を退陣に追い込んだ2016年10月から17年3月まで毎週土曜日に開かれた市民集会)は「新たな民主主義のモデル」として世界史的にも重要な意味を持っている,とした上で次のように語っている。
(以下引用)「市民は偉大である、市民が正答である。私は誰よりも市民の力を信じ、市民の力に依拠して市民運動と政治をしてきた。私の役割は何か。『市民民主主義』を守護し、市民抵抗権を含めた市民権を保障する広場の守り役だった。(中略)広場は市民のものである。ソウル市は市民抵抗権を保障し、広場を保護するためになしうる全ての行政的支援を稼働させた。まず、放水を公権力の濫用とみて、放水に必要な消防水を供給しないことに決定した。大規模集会で起こりうる万一の事故に徹底的に備え(市職員1万5000人、救急隊員と消防士4500人などを投入)、広場周辺のトイレの開放、地下鉄の時間延長など多様な便宜を提供した。」(引用終わり)
そして、講演の最後を次のようなことばで締め括っている。
「私は『キャンドル広場の守り役』を超え、『キャンドル市民の守り役』になりたいと思う。キャンドルの憤怒と熱望が揮発しないように日常政治に生かしていくこと、キャンドル市民を政治的主体として立たせ、その力で政党政治の革新を牽引すること。これこそが、広場で懐妊した市民民主主義を守る道であり、革新政治を花開かせる道であると信じる」(引用終わり)。
「広場」はすべての市民のものではなかった
故・朴元淳ソウル市長のいう「キャンドル市民革命」から4年の歳月が経つが、ソウル市中心部で行われる市民集会のその後の変遷と「キャンドル市民」たちの今の実態を紹介しておこう。
実は、朴槿恵大統領の弾劾が決まったあと、毎週土曜日に集会を行ってきたのは、「太極旗派」と呼ばれる朴槿恵支持派の保守系市民団体だった。参加者の規模には毎回、増減はあったが、ソウル市庁の向かい側・徳寿宮の正門前がほぼ定位置だった。彼らは太極旗だけでなく、米国の星条旗も掲げて集会やデモ行進をするので、韓米同盟を守り、反共主義の政治的立場が分かる。
また「3.1独立運動」記念日や8月15日「光復節」など節目の日には、左右両派、つまり革新系の労組や市民団体と保守系の市民グループや宗教団体がそれぞれの勢力・数を競い合うように同じ時間帯に集会を開くため、光化門前広場から南大門方面に伸びる道路は、ちょうどソウル市庁前を境に完全に南北に分断され、北側の光化門前広場は革新系、南側の南大門方向は保守系とそれぞれ場所が指定され、その間を警官隊が何重にも列を作って厳重に警備する風景が繰り返される。アメリカ大使館などを中心に、道路脇には何十台もの警察バスが列を作って駐車し、その車両によって重要施設をブロックしているため、警察官の姿と警察車両の数がやたらと目立ち、こうした警備費用だけでも莫大な規模の予算が消費されていることが分かる。
大型トラックに搭載した巨大スクリーンや大音量のスピーカーを通りに何十台と設置してお互いの集会を中継するため、周辺一帯に大音響がこだまし、ソウル中心部の土曜日は、世界一騒々しい都市であることは間違いない。東京永田町や霞ヶ関の官庁街を土日に歩いたら、歩行者どころか警察官の姿も人っ子ひとり見えず、静まりかえっていることに韓国人はびっくりするに違いない。おなじ地球上で、同じ首都と呼ばれる街の風景とは思えないからだ。
「キャンドル市民革命」と呼ぶ「ろうそく集会」から、わずか2年半後、2019年10月、光化門広場では、曺国(チョグク)法務部長官一家の不正疑惑問題に抗議する集会が、ついに100万人規模で開かれ、集会の主役も左派から保守系に完全に入れ替わった。このとき集会を主催したのは、キリスト教系の保守団体を中心に「文在寅退陣を求める1000万人署名運動」を全国展開していた宗教団体の連合体だった。主催団体は200万とか300万人が集まったと発表し、ろうそく集会の規模をはるかに上回ったとさえ豪語した。実際にろうそく集会のときより人は多かったと証言する参加者も多かった。私自身の経験では、この日、集会の様子を見ようと光化門駅で地下鉄を下りたとき、すでにプラットフォームは立錐の余地もないほどの人で埋まり、駅の外に出るだけで30分以上かかった。
ところで、朴元淳ソウル市長は「キャンドル広場の守り役」と自称するが、新型コロナウイルスの感染が広がると、直ちに光化門広場などでの集会禁止命令を出し、主として保守派の集会を取り締まった。同じ頃、新天地イエス教会という新興宗教団体の大邱市での教会で集団感染が発生し、朴市長は、この宗教団体のソウル市内の施設を一斉に調査した上で、法人許可を取り消すとまで言及した。コロナ対策を名目に保守系の動きを封じ込めるための格好の手段となった。
広場での集会禁止措置は、4月15日投票の総選挙キャンペーン期間中も続き、結局、各党とも大規模な選挙集会は出来なかった。泡沫少数政党を含め、38以上の政党が乱立した国会議員選挙だったが、結局、各党がどんな政策や主張を展開しているのか、まったく分からないうちに、与党が5分の3の議席を独占するという一方的な選挙結果に終わった。コロナ禍のなかで総選挙を強行した文政権の策略の勝利だともいえるが、民主主義の先進的モデルを標榜する国で、いくらコロナ対策だからといって、選挙結果を大きく左右する選挙活動の制限がそんなにおおっぴらに行われることが許されていいのだろうか?
結局、朴元淳氏がいう「キャンドル市民」とは、文在寅支持派の左派革新系の市民であって、朴槿恵支持派の保守系の市民が広場に集まっても、彼らは「キャンドル市民」でも保護の対象でもないのは明らかである。
コロナ禍が暴いた文在寅政権の反自由主義体質
朴市長が「羞恥死」の自殺をしたあと、ことし8月になって韓国で新型コロナウイルスの感染拡大が再びピークを迎えると、その元凶として名指しされたのが、従来から文在寅政権を厳しく批判する牧師を指導者に抱えるプロテスタント教会だった。そのソウル市のサラン第一教会では7月中旬以降、直接対面しての大規模礼拝を行い、信者を中心に1000人近くの集団感染を引き起こした。さらにこの教会のチョン・グァンフン牧師は自ら感染し、自宅隔離措置をとられていたにもかかわらず、8月15日の光復節に光化門前広場で開催された反文在寅集会に多数の信徒とともに参加し、この集会参加者の中からも300人あまりの感染者が確認されという。
ソウル市と警察は、携帯電話の基地局との交信記録や街頭監視カメラの映像をもとに、集会に集まった人々を特定しようとしたほか、教会や牧師の自宅を家宅捜索して、信者の名簿を確保しようとした。個人情報やプライバシーなど関係なく、まるで中国の全体主義的住民監視体制と変わりはない。
一方、同じ日の同じ時間帯にソウル中心部の鐘路周辺でも労組系の無届け集会が開かれ、こちらでも感染者が発生していたが、この左派労組による集会に関しては、ソウル市や警察は参加者の特定やウイルス検査の呼びかけなどはいっさい行っていないことも明らかになった。このため、反文在寅派の宗教団体をスケープゴートとして狙い撃ちにし、コロナ対策を名目にした宗教弾圧だとの批判もでている。
こうしたなか、文大統領は8月27日、プロテスタント教会の指導者など宗教界関係者を招いた懇談会の席で「特定の教会が政府の防疫方針を拒否し、妨害している。国民に謝罪すべきだが、“盗っ人猛々しく”政府の陰謀説を主張している」と強い批判の言葉を口にした。この「盗っ人猛々(たけだけ)しく」とは、「盗賊が居直って棒を振り回す」という意味の四字熟語「賊反荷杖」(チョッパナジャン」)を辞書どおりに訳したもので、普段からよく口にされているため、韓国人には「よく言うわ」「ちゃんちゃら可笑しい」ぐらいの意味にしか聞こえないのだという。しかし、こともあろうに大統領が相手を「盗っ人」呼ばわりするのは、何とも品性に欠けるというしかない。
こうした文在寅政権の姿勢に対しては、国際的にも批判が高まっている。「自由北韓運動連合など世界57か国の266にのぼる宗教・市民団体、1万5000人近くが署名し、文在寅大統領に連盟で抗議書簡を送ったことが明らかになった。「新型コロナウイルスへの対応過程で宗教の自由を弾圧し、教会をスケープゴートと見なしている」という内容の抗議書簡を送ったと1日(現地時間)明らかにした。書簡には1万4832人が名を連ねた。自由北韓連合の代表は「脱北者とメディアに対する文政権の弾圧が、今では教会と宗教にまで飛び火している」として「韓国政府は憲法に記されている自由の原則をもう一度よく考えるべき」と主張した。
<朝鮮日報9/2「コロナ対応と称した宗教弾圧やめよ」…57か国266団体、文大統領に抗議の書簡>
文在寅政権の中枢の中には、「自由民主主義体制」から「自由」の2文字を削れと主張する人物もいるといわれる。
いずれにしてもこれが「ろうそく市民革命」「広場民主主義」の現在である。この惨めな現状のどこに、私たち日本が韓国に学ばなければならない要素があるというのだろうか。
2019年10月3日、上から地下鉄光化門駅構内、青瓦台に向かってデモ行進する集会参加者、太極旗と星条旗が見える。
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