南シナ海「九段線」に法的根拠はない⑧

南シナ海の領有権問題をめぐってハーグの常設仲裁裁判所がまもなく下す裁定について、中国の元外交当局者は「なにも重大なことではない。ただの紙くずだ」と述べたという。胡錦濤前政権下で外交トップを務めた戴秉国(たい・へいこく)元国務委員が、米ワシントンで行った講演での発言だ。

 戴秉国はまた「いかなる国も中国に対し、裁定に従うよう強制してはならない。とりわけフィリピンが挑発的な行動を取れば、中国は決して座視しない」と威嚇し、さらに「たとえ10の空母戦闘群すべてを南シナ海に派遣しても、中国人を脅かすことはできない」と米国の介入を牽制したという。(産経新聞160707[緊迫・南シナ海]中国元外交トップ「裁定は紙くず」「フィリピンの挑発、座視しない」) 

まるで世間の目など気にもかけないごろつきの発言である。国際法に則ったルールや合理的な判断に背を向ける無法者たちには構わないで、われわれは領土や領海をめぐる国際法のルールをここで改めて確認しておきたい。参考にするのは、同じくビル・ヘイトン著「南シナ海―アジアの覇権をめぐる闘争史』である。(以下、括弧内の数字は同書の出典ページを示す)

<領有権に関する国際的なルール>

古き悪しき時代(帝国主義時代)には、領土を得るには5つの方法が認められていた。征服(領有権を力づくで手に入れる)、譲渡(正式な条約を通してその土地の支配者が権利を放棄する)、占拠(「無主地」に行政権を確立する、この場合「原住民」の存在は関係ない)、取得時効(支配権が徐々に他の支配者から認められる)、そして増加(既存の領土に土地を付け加える、たとえば埋め立て)。のち国連憲章によって征服は削除された。領土を武力で取得することは禁じられた。(p135)

スプラトリー諸島は歴史的に自分たちの領土だとする中国の主張は、古い文献にこの島々への言及があるというのが根拠になっている。しかし、その文献をよく読んでみても、具体的にどの島のことなのかを示す情報はまったくないし、征服、譲渡、占領、取得時効、増加の証拠となるような内容も皆無なのだ。(p142)

国際法は何世紀もかけて、列強の求めに応じて形を変え、ヨーロッパの民事法廷の法的習慣によって、列強の領土獲得を正当化するためのものになっている。だから書類や条約、海図のような形ある証拠を求める傾向が強く、南シナ海問題は、へたをすれば(そうした条約や海図を数多く持つ)英国やフランスのほうが、どの周辺諸国よりも法的には強い権利を有することにもなりかねない(p136)

国際法廷はがちがちの法律尊重主義なので、領有を主張する国は、①正式な領有権の主張を行ったこと、②領有を主張し続けていること、③同じ土地に対して他国が領有を主張しても、みずからの主張をひるがえさずに権利を主張しつづけていることを証明しなければならない。(p139)

スプラトリー諸島の正統な所有者について判断を求められたら、国際司法裁判所は複雑にからまりあう、それら主張の糸をほぐさなくてはならない。当事国となるのはおそらく5カ国。フランス(=1933年の発見と占拠、1946年10月の再占拠が根拠となる)。フィリピン(=1946年7月のキリノ大統領の宣言、そして1930年代の宗主国アメリカの活動が根拠)。ベトナム(=仏領インドシナの継承国家であるという主張と、それ以降の行為が根拠)。中華民国・台湾(=1946年12月の占拠とそれ以降の行為が根拠、もっとも台湾は国連に加入してないので、直接提訴することはできない)。中華人民共和国(=同じく中華民国の行為を根拠とする。また中華民国の正統な「継承国家」であるという主張が根拠)。(p155)

中国について、もう少し、領有権の主張を辿ってみる。1921年、広東を拠点に孫文率いる臨時政権が、パラセル諸島を名目上海南島の行政区域に編入し、グアノの採掘許可を日本の会社に与えている。このときフランスは抗議しなかった。しかしこの臨時政権は、当時、国際社会の承認を受けておらず、シナ全土を代表する権限もなかった。

1949年に成立した共産中国のスプラトリー諸島に対する領有権の主張は、1946年に中華民国軍の太平号(米軍から譲渡された軍艦)がはじめてイツアバ島を占拠したという事実に基づいている。北京の共産党政府はいまでは太平号の遠征を支持し、全中国を代表して行われた領有権の主張だとしている。しかし60年前はそうは考えていなかった。第1次台湾海峡危機(1954~55年)の際には、この船をアメリカ帝国主義の象徴とみなして、1954年11月には大陳群島沖で撃沈しているほどだ。(p143)

イツアバ島に関していえば、70年間おおむね実効支配してきた台湾が勝つのはまちがいない。1999年、高まる一方の緊張を緩和するため、台湾政府はこの島から海兵隊を引き上げ、代わりに沿岸警備隊を置くと発表した。しかし、それはただの沿岸警備隊ではなかった。120ミリ迫撃砲と40ミリ砲で武装し、軍の訓練を受けていた。2012年9月には実弾射撃訓練を行って、侵略軍を迎え撃つ実力を見せ付けている。2008年2月には1200メートルの滑走路を建設し、陳水扁総統が飛行機で乗り入れ落成式を行っている。(p158)

中国は1990年代以降、現在まで、スプラトリー諸島の占拠した環礁で大規模な埋め立て工事を行って地形を拡張し、滑走路やレーダーサイトなど軍事基地化を進めてきた。フィリピンが仲裁裁判所に提訴してから、軍事基地化の工事をなおさらスピードアップさせ、帝国主義的な拡張主義者、つまり覇権国家の本性をむき出しにするようになった。

ところで、南シナ海問題を論じるとき、最初にはっきりとさせるべきは「基準日」だ。「基準日」とは、関連する事象のすべてが起こっていて、論争が「明確な形をとった」ときはいつか、ということ。そして「基準日」には、もうひとつ重要な意味がある。その時点よりあとに論争の当事者がとったいかなる行為も、国際法の前ではなんの意味も持たないということ。論争が「明確な形」をとった、すなわち全当事者がみずからの主張を明らかにしたあとでは、滑走路を建設しようが、島をどこかの行政区域に編入しようが、地図に書き入れようが、国際司法裁判所の判断ではまったく考慮されることはないということだ。(p156)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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