南シナ海仲裁裁定で日本を黒幕批判

中国は南シナ海問題で、仲裁裁判所の裁定で負けた腹いせに、とんでもないイチャモンをつけて、日本に向けた批判を始めている。中国の外交当事者やメディアは「法律の衣を着た政治茶番劇(閙劇)」、「黒白を顛倒し、是非を混交し、出鱈目ばかりの紙くず(廃紙)」、「紛争解決の『万能薬』ではなく地域を害する『毒薬』だ」など、相も変らぬ汚い言葉で、罵倒し侮辱し強迫し尽くしている。これは彼らのいつものパターンなので、驚くには当たらない。が、それより仲裁裁判所の裁定で、彼らが受けた衝撃の大きさを示すのは、全国民に向けて携帯電話の一斉メールを何度も発信し、「われわれの勝利だ、茶番は終わりだ」などと虚勢を張り、国民を惑わし、批判を回避しようと必死なことである。

仲裁裁定が発表されたあと、間髪いれずに、外相王毅の声明や国務院の声明などを立て続けに発し、翌日には、国務院新聞弁公室が「中国は南中国海におけるフィリピンとの紛争で話し合いによる解決を堅持する」と題する50ページの白書を日本語など9か国語で配布、ウェブ上でも公開した。

http://j.people.com.cn/n3/2016/0713/c94474-9085593.html

最悪の事態も想定し、準備万端、怠りなかったということだろうが、それもこれもショックを最小限に抑えるための焦りの裏返しであるのは確かだ。一党支配体制が崩壊しかねないほどの衝撃であり、彼らが絶対に負けない、自分たちだけが正しいと豪語してきたことがあっけなく全否定されたのである。

そうしたなかで、岸田外務大臣が「仲裁裁判所の裁定は国連海洋法条約に拠った最終的な採決であり、当事国に対しては法的拘束力がある。当事国は採決を必ず受け入れるよう強く期待する」と述べたことに対し、中国外交部スポークスマンの陸慷は、次のようにコメントした。http://www.fmprc.gov.cn/web/fyrbt_673021/t1380001.shtml

「仲裁裁判所の構成は、国際海洋法裁判所の前裁判長柳井俊二が直接手を下して操作したものだ。柳井は安倍晋三の安保法制懇談会会長であり、安倍の集団的自衛権の解禁を助け、第二次大戦後の国際秩序の束縛(を壊すこと)に挑戦した。これを見ても、仲裁裁判所はその設立当初からすでに政治化されていたことが分かる。仲裁裁判所の成立に合法性はなく、その越権的な審理とそれによって出された裁決は、非法であり無効である。すでに何度も闡明してきたように、中国は仲裁案を受け入れず、参与せず、いわゆる採決を受け入れず、承認しないという立場だ。(4つの「不」)

「日本の南シナ海問題に対する歴史的経緯も理解しておくべきだ。第二次大戦期間、日本は南海諸島に侵犯し占領した。日本の敗戦後、中国はこれを回収した。大戦後の国際秩序を確立したカイロ宣言、ポツダム公告などの国際文献はこれについて明確な規定がある。日本は一度はポツダム宣言の関係規定の遵守を承諾した。日本は戦後の国際秩序を尊重すべきである。日本が中日関係と地域の平和と安定という大局から出発し、南海問題で風を煽って火をつけるようなやり方を反省し、南海問題に手を出しかき回すのを止め、間違った道をますます遠くまで歩まないように希望する」。

柳井氏が仲裁裁判所の5人の判事を任命したのは、そういう立場にあったからで、何も不当なことはない。日本人が関わったから、仲裁裁判そのものが不当だというのは、中国の理屈であって国際社会には認められない。また「カイロ声明」や「ポツダム宣言」を持ち出して戦後の国際秩序について言及しているが、戦後の国際秩序づくりに関わったのは今の中国ではなく、ましてやカイロ共同声明やポツダム宣言、サンフランシスコ平和条約に関わったのも彼ら共産中国ではない。侵略戦争だった「朝鮮戦争」や「ベトナム懲罰戦争」、チベットや東トルキスタン、南モンゴルなどへの侵入と民族浄化政策、世界に輸出した毛沢東主義一派による反政府ゲリラ活動などを見ても、むしろ彼らこそが一貫して世界秩序の破壊者であり、戦後一度も戦闘に参加したことのない日本は、首尾一貫して平和の擁護者であった。

ポツダム宣言には次のような文章があることをご存知か?「日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする」 

(The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.)

戦後の日本政府の義務を説いたものだが、民主主義思想とその体制を磐石のものとし、言論、宗教、思想の自由、基本的人権の尊重を徹頭徹尾守ってきたのは日本であり、今に至るも思想・言論の自由、宗教の自由がなく、国民の基本的人権さえ擁護されていないのが中国であることは、世界中の誰もが認める事実だ。「聨合国」「戦勝国」と称する彼ら(実際は日本軍に勝利したのは共産軍ではない)のほうが、ポツダム宣言の条項とかけ離れた国情を示し、なおかつ「敗戦国」の日本に「戦後秩序」の遵守を迫る。片腹痛い、とはこのことだ。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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