習近平「2つの百年計画」と海洋戦略

<南シナ海「九段線」に法的根拠はない⑫>

「中華民族の偉大なる復興」を掲げた習近平の「中国の夢」には、「2つの百年計画」という目標がある。①中国共産党結成100周年(2021年)までに全面的な小康社会(ほどほどに豊かな社会)を実現する(=つまり日本を押しのけてアジアでナンバー1の地位を取り戻す)。そして②新中国建国100周年(2049年)までに、富強・民主・文明・和諧(調和のとれた)の社会主義現代化強国を作ってみせる」(=つまり、アメリカを超えて世界ナンバー1の覇権大国として君臨する)の二つだ。

この二つの目標を達成するためには、アジアにおいては日本を追い越し、世界においては米国と肩を並べる必要がある。日本や米国と対抗し、米国の軍事力に挑戦するには、東シナ海と南シナ海を自分の勢力下に置き、まさに旧ソ連がオホーツク海をアメリカ本土を攻撃できるSLBM搭載型原潜を沈め、遊弋させるためのソ連の「内海」とし、まさに手出しのできない「聖域」(サンクチュアリ)としたように、東シナ海と南シナ海を中国の「内海」とし、そこから米軍を排除し、米国の核戦力を脅かすに足る原潜が自由に展開できる海域として、制海権・制空権を掌握する必要がある、というのが習近平の海洋戦略に他ならない。

<新型の大国関係と太平洋縄張り分割論>

以下は、近藤大介著『中華帝国の野望 パックス・チャイナ』(講談社現代新書2016年5月)の論述を借りて、中国の「100年の大計」である覇権戦略と習近平の海洋戦略を俯瞰したい。(以下、カッコ内数字は同書の出典ページを示す)

習近平は1985年にアモイ市の党委常務委員になってから2002年に省長として離任するまでの17年間にわたって福建省に勤務した。同時に、1988年に福建省寧徳軍分区党委第1書記になって以降、2002年南京軍区国防動員委副主任として離任するまで、一貫して軍職を兼務した。中国の現職の政治指導者で、ここまで軍職にこだわったのは、習近平ただ一人だという。その習近平に軍事問題を教えた師匠、いわば長年にわたる軍師が、呉勝利海軍司令員だった。(P20)

呉は19歳で海軍に入隊。1980年代後半から90年代後半にかけて福建省の海軍基地で参謀長(基地ナンバー2)や司令員(基地トップ)を歴任。習と呉はそのころ親しく交わったものと思われる。

呉勝利には、一つの「持論」があった。それは『第一列島線』の中国大陸側を、中国海軍がみずからの内海としなければ、「中国の時代」は永遠に到来しないというもので、(p21)海軍の増強に努め、南シナ海と東シナ海に「海の万里の長城」を築いて「第一列島線」を確保する、との目標に掲げた。

呉勝利の名を一躍、世界に知らしめたのは、2007年5月に訪中したキーティング米太平洋軍司令官に対し、「中国とアメリカは、ハワイを境に太平洋を2分割しようではないか。アメリカは太平洋の東側半分と大西洋をとる。中国は、太平洋の西側半分とインド洋をとる」と述べた発言だった。(p23)

同じ趣旨の言葉を、習近平はオバマ大統領に対して発している。習近平が政権トップの座についたのは2012年11月、それから7か月後の13年6月に訪米し、米中首脳会議に臨んだ。そのとき習近平はオバマ大統領に対して「太平洋は米中両国を受け入れるのに十分な広さがある」という有名な台詞を吐いた。これは「太平洋は十分に広いのだから、米中両国で縄張りを分け合おうぜ」というのが真意で、いわばヤクザの世界でいう「縄張りをめぐって手打ちをしたい」という提案に等しかった。

「太平洋の縄張り分割」と言ってしまってはあまりに露骨なので、このとき習近平は「新型の大国関係」というオブラートに包んだ言葉を使って、米国の同意を得ようと画策した。

習近平が提唱した「新型の大国関係」とは、要するに「世界は、中国とアメリカが牽引していくG2の時代を迎えた。これからは太平洋の東側、すなわちアメリカ大陸とヨーロッパは、アメリカが責任を持って管理する。一方の太平洋の西側、すなわち東アジアは、中国が責任を持って管理する。つまり東アジアのことは、中国に任せてほしい」(p68)という趣旨である。

「アジアのことは中国に任せろ」という趣旨の発言は、習近平は別のところでもしている。2014年5月上海で開かれた「アジア相互協力信頼醸成措置会議」(CICA、中国での略称は「亜信」。1992年カザフスタンのナザルバエフ大統領の提唱で始まり、46の国と国際組織が参加)の第四回総会で、習近平は次のように演説し、いわゆる「アジアの安全観」を提唱している。

「今やアジアは世界人口の67%、世界経済の3分の1を占め、多くの文明と民族の集積地となっている。私は積極的で持続可能なアジアの安全観を提唱したい。それはアジアを取り巻く状況や問題は、アジアの人々自身で解決するということだ。アジアの安全は、アジアの人々が維持し保護するのだ」(p150)

落ち目の日本を追い抜き、ついに世界第2の経済大国に躍り出た自信、今後もこのまま成長を続ければ米国さえやがて追い越し、米国に代わる覇権国家として世界中に君臨できるという過信に、習近平の中国は突き動かされているように見える。中国が主導するAIIBの創設や「一帯一路」経済圏、新シルクロード経済ベルト構想や海のシルクロード構想も、世界経済の枠組みやルールづくりは中国が主体となって行い、米国や日本には手出し口出しをさせないというものだ。さらにそうした経済覇権だけにとどまらず、軍事的にも絶対的優位に立たなければ、世界の覇権は確立できないと考え、推し進めているのが、南シナ海・東シナ海での横暴で悪辣な立ち居振る舞いなのだといえる。そして、南シナ海の環礁の埋め立てと急ピッチで進められている軍事基地化は、オバマ大統領と習近平の間で、この間に行われた外交的な駆け引きや攻めぎあい、あるいは両者の間(ま)の取り方や立ち居地が微妙に影響し、軍事基地化のスピードアップにつながった節も見られるのだ。

<南シナ海での人工島建設の加速>

2013年6月の訪米で、習近平が提案した「新型の大国関係」という名の「太平洋縄張り分割論」は、オバマ大統領から「日本が米国の同盟国であることを忘れるな」と一蹴され、習近平の目論見は見事に失敗した。すると半年後の13年11月に持ちだしたのが、東シナ海上空の防空識別圏設定である。太平洋分割に失敗した後、本当は東シナ海での縄張りを主張したかったのだろうが、それを言うと尖閣問題に直結して日米を刺激するので、海ではなく空の縄張りを持ち出したのだ。ところが、これも米国が直ちにB52戦略爆撃機を飛ばして威嚇すると、中国は手も足も出なかったので結局、失敗した。(長谷川幸洋『ついに中国は戦争への道を歩み始めたのではないか、という「強い懸念」』(現代ビジネス)

<戦争への衝動に動かされる習近平>

2014年4月、日本を訪れたオバマ大統領は、「日米安保条約第5条(有事の際の米軍の出動)は、尖閣諸島を含む日本の施政下にあるすべての領土が含まれる」と約束し、安倍政権は尖閣防衛についての米国の言質をとることができた。

「だが、事はそう単純ではなかった。この時期から中国が南シナ海で本格始動させた岩礁の埋め立てを、アメリカはその後1年以上も黙認する。その意味で、ウクライナと中東で手一杯の中でのオバマ大統領の訪日は、むしろ東アジアを放置しても構わないと確認するためのものだったとも言えた。オバマ大統領のアジア歴訪で、東アジアにおけるアメリカの消極姿勢を確信した中国は、南シナ海で直ちに行動を開始した」(P139)。

それは、2014年から本格化するスプラトリー諸島の岩礁の埋め立て、人工島の建設だった。

一方、共産中国のトップに躍り出た習近平にも、南シナ海で何かことを起したいという衝動に駆られていた。そのころの習近平は、「ハエもトラもたたく」「腐敗撲滅運動」という名の権力闘争のなかで、中国軍の制服組トップである徐才厚と郭伯雄を追い落とし、一刻も早く「習近平の軍隊」を造りたかった。そのためには、「1979年の中越戦争以降、本格的な戦争をしていない人民解放軍に活を入れ、「戦闘集団」に立ち返らせる必要があった。そのため、東シナ海か南シナ海で「太平の眠りを覚ます出撃」を試みたいという衝動に駆られていた」(p26)という。

近藤はそのころ、尖閣諸島について中国の外交関係者から次のような「興味深い発言」を聞いたと記す。

「中国は、長年、尖閣諸島を奪取する理由が見つからなかったが、野田政権が尖閣を「国有化」し(2012年9月)、安倍首相が靖国神社を参拝した(2013年12月)ことで、14億の中国人が日本を敵と見なすようになった。こうした流れを、習近平は絶好の機会到来と考えており、自分の時代に釣魚島を奪取する気になっている」。

「中国の高度成長に時代は終わり、中国経済は先行き不透明になってきた。そんな中、習近平主席は、中国で経済破綻が起きる前に、東シナ海か南シナ海で戦争を起こすつもりなのではないか。ちょうど習主席がこの上なく尊敬する毛沢東主席が、建国の翌年に朝鮮戦争に参戦し、政権の求心力を高めたのと同じことだ」(p112)。

だが、日本の背後には常に米軍の存在があった。1996年の台湾海峡危機では台湾海峡に派遣された2隻の米空母の前に中国軍は何の手出しもできなかったことを、習近平は対岸の福建省で目の当たりにしていた。一方、東シナ海に較べて、南シナ海にはアメリカの同盟軍はなく、中国と同等に戦える軍隊を持つ国もなかった。

そこで、「東シナ海より南シナ海の『占領』を優先させる」との方針が決まった。ここから、2015年以降顕著になった南シナ海の岩礁の埋め立て計画が始まった。

「この時の合い言葉は、「ヒラリーの(大統領選)当選前に済ませろ」だった。・・・核放棄と不戦を宣言していたオバマのもとで、アメリカが弱腰を貫いてくれるのは、対中強硬派のヒラリー・クリントンが大統領選で勝利する可能性がある2016年11月までと見ていた」。

「海の万里の長城」の具体的な目標は、第1に岩礁の埋め立てによる軍事用滑走路の建設、第2に南シナ海一帯を監視できるレーダーシステムの構築。そして第3にミサイル配備だった。だが表面上はあくまでも、民用インフラの整備ということにカムフラージュした」(P27)。

スプラトリー諸島での環礁の埋め立ては、平松茂雄氏によると1980年代から始まっていた。「87年から88年にかけてベトナムに近い海域に点在する6ヵ所の珊瑚礁に高脚屋と呼ばれる掘立小屋を建てた(第1世代)。次にプレハブ式の建物を建て(第2世代)、最後に本格的な鉄筋コンクリートの建造物(第3世代)を建てて、南沙諸島の領有権を主張した。(平松茂雄『毛沢東と鄧小平の「百ヵ年計画」』オークラNEXT新書2013年4月p121 )

しかし、2015年4月11日、ワシントンのシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)が3月16日に撮影したというミスチーフ礁で中国が埋め立て工事を進めていることを示す証拠写真を公開。人工島の建設が猛スピードで進められていることに、世界の耳目が集まった。それは、掘建小屋とかプレハブとかのレベルではなく、完全な要塞、軍事基地だった。

この間、カーター国防長官やハリー・ハリス太平洋軍司令官などがオバマ大統領に対し、中国に圧力をかけ人工島建設を中止させるために、米海軍によるスプラトリー諸島での「自由な航行作戦」の実施を進言してきた。しかし、オバマは、習近平が訪米する2015年9月まで作戦の実施を許可しなかった。

そのときの米中首脳会談やその後の共同記者会見では、習近平とオバマ大統領は、互いに視線を合わせることさえなく、会談の雰囲気が険悪なものだったことを物語っていた。

会談では、次のようなやり取りがあったという。

オバマ「ここのところ中国が南シナ海で行っている埋め立ては、地域の現状を変更する試みであり、アメリカ政府として看過できない」

習「南シナ海は古代から中国の領土・領海であり、いかなる国も内政干渉はさせない。わが国は主権を主張する国とは個別に話し合いを続けており、それは今後とも継続する。この件に関しては、外部者であるアメリカは、あくまで中立の立場を保持すべきだ」

オバマ「これまでも軍からは、南シナ海での「航行の自由作戦」を求める声が上がっていたが、私は「習主席と話す」として却下してきた。だが習主席がそのように主張するのなら、すぐにも航行の自由作戦を許可し、南シナ海が国際法に基づいた自由な海であることを地域の国々に示す」(p242)。

いずれにしてもオバマ大統領の優柔不断さが、南シナ海で中国が進める大規模かつ急ピッチでの環礁埋め立てを加速させ、取り返しのつかない珊瑚礁の破壊と軍事要塞化を達成させたことは間違いない。

さて、中国が軍事基地化を目論むスカボロー礁はどうするのか?フィリピン・マニラの西220キロのスカボロー礁が埋め立てられ軍事拠点が作られたとしたら、南シナ海のほぼ全域を覆う大三角が形成され、この地域での制海権、制空権が中国によって握られることになる。

ハーグの仲裁裁判所の裁定のあと、フィリピンのTVクルーを乗せた漁船がスカボロー礁に近づいたところ、中国海警局の船がすぐにやってきて追い立てられたという。米軍は、スカボロー礁周辺を海上封鎖するのではないか、という観測も出ている。互いに角を突きあせているこの海域は、かつて人々が魚を獲って豊かに暮らし、互いに交流し技術や文化を伝えあった舞台ではなく、きな臭い戦争の発火点となっている。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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