「韓国広報専門家」が世界に垂れ流す「旭日旗=戦犯旗」の論理破綻

専攻は造園・園芸なのに「歴史専門家」だって?

旭日旗が戦犯旗だという宣伝に一役買っているのが、徐坰徳(ソ・ギョンドク)という人物だ。

彼は「韓国広報専門家」を自称し、竹島や慰安婦、戦時徴用問題や端島(軍艦島)などをめぐって対日批判を繰り広げる広報映像を制作し、ニューヨークのタイムズスクエアにある大型画面で上映したり、アメリカの新聞に広告を出したり、といった活動をしてきた。

誠心女子大学教養学部で「国家広報」という講座を受け持っているそうだが、自身が大学・大学院で学んだのは造園・園芸科学という分野で、メディア広報や歴史に関する論文や著作は一つも発表していない。それにも関わらず今や「広報専門家」や「歴史専門家」という肩書きで、ワイドショー番組などに頻繁に顔を出すタレントに過ぎない。

学生時代のバックパッカー経験が原点?

今年48歳の徐氏は、学生時代にバックパッカーで欧州を旅行したとき、中国人や日本人に間違えられたことにショックを受け、韓国と韓国人を世界にPRする必要性を痛感したという。そのため、欧州を旅行中の韓国人バックパッカーに8月15日にパリのエッフェル塔に集まれと呼びかけ、太極旗を振り、愛国歌やアリランを歌って韓国を誇示するイベントを行い、成功体験をつかんだようだ。

そのほか、ギネス記録を狙って巨大な太極旗の制作を計画したり、2002年ワールドカップでは芝生で作ったジャケットのアイデアを提案するなど、いわゆる奇行・奇策で名前を売ろうとした人物でもあった。

そんな人物を韓国政府は、国家ブランド委員会の諮問委員や独立記念館名誉広報大使に任命するなど厚遇し、公営放送KBSは2011年、彼を司会者にネット番組(「ソ·ギョンドクの国家代表」)を制作、MBSも彼を頻繁に起用して番組を放送している。

「旭日旗はハーケンクロイツと同じ」という倫理破綻

彼が、旭日旗問題に最初に関わったのは、2014年の「3・1独立運動記念日」を前に発表したユーチューブ動画(現在はなぜか視聴不可となっている)だが、この6分間の映像では、ナチス・ドイツのハーケンクロイツと旭日旗を強引に結びつけ、ハーケンクロイツの旗の下で無数のユダヤ人が虐殺されたのと同様に、旭日旗の下で大勢のアジア人が虐殺されたという。

ハーケンクロイツはナチス党の党旗であり、後にナチス・ドイツの国旗となるが、国旗どうしで比較するのであれば、「日の丸」が対象になるはず。また軍旗として比較するのであれば、ドイツ軍の軍旗はIron Cross(アイアン クロス)と呼ばれる「鉄十字」や「黒十字」の紋章がそれにあたる。

そして、この鉄十字や黒十字の紋章は、今でもドイツ軍の戦闘機や戦車に描かれ、旭日旗と同様に各国軍に承認され、禁止やタブーの対象ではない。

徐氏の「旭日旗はハーケンクロイツと同じ戦犯旗」という主張は、そうした厳密な検証も経ていない、一方的で論理破綻の主張だということができる。

慰安婦問題とホロコーストを一緒くたにするな

ましてナチス・ドイツが行ったユダヤ人虐殺・ホロコーストと、慰安婦や戦時徴用労働者の問題を同列に扱う韓国人の主張は、イスラエルや世界のユダヤ人組織から「慰安婦などと一緒に並べるのは、ナチスによるホロコーストを矮小化するものだ」として激しい反発が起きている。

さらには、1938(昭和13)年、旧満州でハルピン特務機関長を務めていた樋口季一郎陸軍少将が、ヒットラーに追放されたユダヤ人難民2万人がソ連領を横断して満州国境の外にまで押しかけ、冬の寒さのなかで露営していた(オトポール事件)のを見かねて、人道問題だとして満州への入国手続きを許可し、ハルピンに招き入れた事例もある。

ドイツ政府からは当然、抗議があり、それを受けて、関東軍司令部の東条英機参謀長(のちの首相)は樋口少将を呼び出し、下問した。それに対して樋口少将は、

「私のとった行動は間違っていないと信じています。ドイツは同盟国ですが、そのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です。人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいきません。私は日本とドイツの友好を希望します。しかし、日本はドイツの属国ではありません!東条参謀長! ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」と堂々と答えたという。

これに対して、東条参謀長も「よくわかった。ちゃんと筋が通っている。私からもこの問題は不問に付すように伝えておこう」と、樋口少将の言い分を認め、実際に日本政府は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」とドイツ政府の抗議を一蹴したのである。

月刊『致知』2020年5月号 特集「先達に学ぶ」より「陸軍中将・樋口季一郎の知られざる功績──2万人のユダヤ人を救った武士道精神」

          (ハルピン特務機関長時代の樋口季一郎少将)

ユダヤ人問題で先進的な考えを表明していた日本

樋口少将はその年の8月には、参謀本部第2部長として陸軍の情報戦のトップに転出するが、同じく12月、近衛首相の下で策定した「ユダヤ人対策要綱」にも参画し、ユダヤ人を普通の外国人として扱うという日本の判断を世界に告知する上で大きな役割を果たした。

因みに後に中将に昇進した樋口季一郎は、アリューシャン列島を担当する北方軍司令官としてアッツ島玉砕やキスカ島撤退を指揮し、終戦時には千島・樺太を含めて管轄する第5方面軍司令官として北海道札幌で任務につき、ポツダム宣言受諾後は、占守島へのソ連軍上陸に対抗する作戦を指揮するなど、ソ連による北海道侵攻を阻止した司令官として知られる。

さらに、ポーランドやリトアニアのユダヤ人難民6000人あまりに日本渡航を認める「命のビザ」を出し、「東洋のシンドラー」と呼ばれた外交官、杉原千畝の活躍は、陸軍参謀本部第2部長だった樋口が1939年の独ソ不可侵条約後にバルト海沿岸に諜報拠点を確保しようとして、ストックホルムやヘルシンキなどと並んで、杉原が駐在したリトアニアの首都カナウスにも領事代理を置いたのがそもそものきっかけだった。

            (樋口季一郎中将 1888~1970年)

ドイツによるユダヤ人迫害を人道問題だとして認識し、あらゆる手段を講じて援助の手を差し伸べていた日本について、当事者であるイスラエルやユダヤ人社会が、ナチス・ドイツと日本を同列に扱うことはあり得ず、まして旭日旗を戦犯旗だと見ていないことは明らかだ。

それなのに相変わらず、旭日旗は戦犯旗だと主張する徐氏に対しては、世界は冷笑し、黙殺している。そのことは、メールやSNSでいくら発信しても反応がないことを彼自身がいちばんよく知っているにも関わらず、知らないふりをしているに過ぎない。

こんな人物を、政府関連の組織の諮問委員に任命する韓国政府も、その程度が知れるが、徐氏のフェイスブックなどでの発信を、いちいち記事で取り上げ、持ち上げる中央日報など韓国メディアも、そのレベルが知れるというものだ。


富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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