「清末民初」の日本留学熱とは違う東京への憧れ
当ブログでは前回、大富豪の御曹司をはじめ、中国の富裕層が中国を「大脱出」し、日本へ「爆移住」しているという話題をとりあげた。
実は、中国を脱出しているのは富裕層だけではない。大学教授など知識人も大挙して日本に押し寄せている。そうした状況は、「清末民初」といわれる時代にそっくりだといわれる。明治維新を遂げた日本に日清戦争で敗れ(1895)、近代化の必要性を痛感した清朝は多くの留学生を日本に送り出した。また改革派による「戊戌の政変」(1898)に失敗したあとには梁啓超や康有為など政府の中枢にいた官僚まで日本に亡命し、さらに孫文、陳独秀や李大釗など、辛亥革命(1911)や共産党創設(1920)を担う革命家たちが挙って日本を拠点に活動した時代だった。
今は、その当時より、もっと巨大な波となって中国から日本へ、人々が押し寄せている。大学教授や知識人が中国を脱出して日本に逃れる理由は、今の中国では、自由な発言や発表の機会を奪われ、彼らは息の詰まるような生活をしているからだ。
大学教授など知識人・インテリ(中国語では「知識分子」)を名乗る人たちの「本分」、すなわち存在理由は、自分が専門とした分野で幅広く知見・情報を集めて分析し、新たな見方や考え方・理論を編み出して、それら研究成果を学術論文として発表することによって、社会の発展や進歩になにがしかの貢献をすることだろう。しかし、今の習近平体制下の中国では、大学教授や知識分子が、自分の研究成果を論文として発表したり、出版したりすること自体が極端に制限されている。研究者や知識人から、発表や表現の場を奪ったとしたら、彼らの存在価値の否定であり、ある意味、死刑宣告に値する。そんな息の詰まるような中国を脱出し、日本の自由な空気に憧れるのは当然かもしれない。
東京に中国知識人経営の書店が次々にオープン
そうした中国の知識人たちが、いま注目しているのが、東京に次々とオープンしている中国人向けの書店だといわれる。そしてこれらの書店には、出版や文化の発信拠点として、また異なる文化や国・地域を結びつけるネットワーク機能も担っているという。
その一つ、去年(2023)8月に東京銀座一丁目にオープンした書店を訪ねてみた。「単向街(タンシァンジエ)書店」(英語名:One Way Street Tokyo)という名の店は、JR有楽町駅から徒歩5分、人通りはさほど多くはないが、銀座桜通りに面した小さなビルの1階にあった。書店としての規模は大したことはなく、6畳間ほどのスペースの両脇の壁に書棚があって中国語や日本語の本が並んでいる。中国文化や古代史、日本文学を紹介する中文書籍などが多く、現代中国に関する書籍はないかと探したが、そういう類いのものはなかった。
書棚があるスペースの奧には喫茶カウンターがあり、らせん階段を上がった2階はイベント・展示スペースとなっていて、一階で本を借りて、そこでコーヒーを飲みながら読書もできるようになっている。実は、この2階のイベントスペースこそ重要な役割をもっていて、毎週のように作家や学者、アーティストを呼んでトーク・イベントを開き、それなりに客の入りも盛況だという。
店内にあったパンフレットでは、トーク・イベントへの参加費や中国語書籍の割引、会員限定商品の購入などを謳い文句に、年会費3万3000円で会員募集が行われていた。こうした会員募集を通じた人と人とのネットワーク、人脈・組織づくりを、当面の利益の源泉としているのではと伺えた。つまり「単向街書店」は、書籍の販売というより、出版やオリジナルグッズの販売、ギャラリーや文化サロンなどとしての機能に重点を置き、単なる書店を超えた総合的な文化空間の創出・提供を経営の方針としているようだ。
こうした書店は、中国では「独立系書店」と呼ばれるが、単向街書店は北京大学出身で作家やドキュメンタリー番組の司会者としても知られる許知遠氏が、友人らとポケットマネーを出し合って2005年に北京に1号店をオープンしたのが始まりで、それから18年、北京に4店舗、杭州(浙江省)に2店舗、秦皇島(河北省)と仏山(広東省)の計8か所でチェーン店を展開。東京銀座店が9店舗目で、海外展開の第1号だという。
店の入口の看板によれば、単向街書店は「アジアをテーマとした書店で、アジア諸国の多様な思想やライフスタイルを知るための窓口」、「アジア諸国間の民間文化交流の活性化をはかる場」にしたいとし、「今後は東京銀座店を起点にしつつ、世界各地に向けて拠点を設けていく予定」、「それぞれの地域の皆さまと手を取り合い、刺激に富んだ新しい次元の文化交流の実現を目指していきます」と宣言している。海外1号店となったこの東京銀座店に、アジアのハブとして文化交流の拠点の役割を負わせたいと意気込んでいる。
ところで『単向街』という店の名は、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンWalter Benjamin(1892-1940)の著書EINBAHNSTRASSE(アインバーンシュトラッセ)(邦訳『この道、一方通行』細見和之訳 みすず書房2014)に由来するという。ベンヤミンはベルリン生まれのユダヤ人でマルクス主義を信奉し、ヒトラー政権の成立でフランスに亡命、パリにあった社会科学研究所を中心に多彩な批評執筆活動を行った。1940年ドイツ軍によるパリ陥落でスペインに逃れる途中、ゲシュタポに送還されると脅され、ピレネー山中で服毒自殺している。
箴言 (しんげん)・ 警句の断章を集めたアフォリズム集であるベンヤミンの『この道、一方通行』には、「これらのフロア貸します」という章があり、そこには「批評の本分は正しく距離を取ることにある」とある。ベンヤミンにあやかって『単向街』と名づけた店名には、ベンヤミンと同じく国を脱出し、何ごとか新しい文化運動を起そう、そのためのイベントスペース・フロアを貸しますという書店主の「寓意」が込められていそうだ。
『単向街書店』に関しては、以下の『東洋経済オンライン』などの記事に詳しく書かれているので参照して欲しい。
<東洋経済オンライン 2024年2月3日「中国人向けの書店が東京で続々開業する深い事情 言論統制を嫌うインテリが日本に脱出している」>
<36KrJapan 2023年8月29日「ここをアジア文化のハブに、中国独立系書店「単向街書店」が東京・銀座に海外1号店」>
<アジアと芸術 digital 2023年12月11日 南部健人「単向街書店 ―― 日中の人文交流を支える「知の生態系」>
東京を中国人ネットワークのハブにするだと?
実は「単向街書店」以外にも、2023年12月には中国人社会活動家の趙国君氏が神保町に開いた「アウトサイダー中文館(中国名は「局外人書店」)」がある。また香港メディア端伝媒の創立者でジャーナリストの張潔平女史が香港と台湾に立ち上げた「飛地書店」の東京店にあたる「東渡飛地」書店が東京市ヶ谷にことし(2024年)3月にオープンしている。Xに載ったその開店を知らせる一文には、「“飛地”という系列店の英語名は『Nowhere』です。私たちがどこにも(nowhere)行く所がない時、「さあここに」(now here)安住しようといい、分かれ離れになった時には、世界各地に家族の家を建て直し、(どこでも?)また会おう」とある。
単向街(Einbahnstrasse)といい、「局外人」(Outsider)、あるいは「飛地」(Nowhere)といい、いずれもネーミングは奮(ふる)っている。イデオロギーに染まった中国らしからぬ、反骨心、反権力的な気概が感じられていい。
ところで、東京財団政策研究所主席研究員の柯隆氏によると、東京に次々にオープンするこうした中国人向け書店は、中国のエリート層、知識人が東京に関心を寄せる要素の一つにもなっているという。とりわけ発言の機会がなくなり出版の自由も失った中国知識人にとっては、表現や発信の場としても東京は魅力的に映るらしい。最近、日本記者クラブで講演した柯隆氏によると、東京に来た中国知識人らが次に目を付けているのは、こうした中国系の海外書店のネットワークを契機に、ニューヨークやロンドンなど世界の中国人ネットワークと繋がることだという。さらにこうした中国人ネットワークが、やがてユダヤ系やイスラム系のネットワークとも繋がれば、そこを通じてヒト・モノ・情報が流通し、巨大なネットワークを形成することも可能だとし、柯隆氏はそれをなぜか「グレーター・チャイナ・ネットワーク」と名づけている。そして、そうした世界的なネットワークのハブとして、同じく中国人エリート層が多く集まるシンガポールが重要だとする。
<Youtubeチャンネルjnpc 柯隆・東京財団政策研究所主席研究員日本記者クラブ講演「中国で何が起きているのか」(2024.3.18)>
中国の知識人が新たに作る世界的なネットワークの名前が「グレーター・チャイナ」(大中国)とは恐れ入った。東京に集結した彼らが、かつての辛亥革命や中国革命の次に目指すのは「世界革命」だと気取っているつもりなのか。かりに、そんな世界の仕組みやあり方を変えるネットワークがチャイナの名前で、中国人によって組織運営されるとしたら、それこそ恐ろしい。
留学生を多く受け入れるほど潤う日本の大学
問題は、東京や日本に集まった中国の大学教授や知識人たちがどう生計を保っているか、だが、どうやらその一部は日本の大学の客員教授や特任教授、客員研究員などとして職を得ているようだ。たとえばアリババ(阿里巴巴)の創業者・馬雲(ジャック・マー)氏は東京大学に併設された東京カレッジの招聘教授となっている。また東大の阿古智子教授を中心に、中国で公民権運動などに関わっている反体制派の知識人や弁護士などの身元引受けを積極的に取り組む動きもあるようだ。また立命館大学なども客員教員や客員研究員の受入れを積極的に進めている。
そもそも日本の大学は「国際化」を目指すという名目の下で、留学生の受入れを増やし、海外からの教員を招聘するごとに、国からの補助金が増額されるという制度なっている。そして大学の経営もそれに縛られ、ますます依存する体質になっている。
例えば「日本私立学校振興・共済事業団」の「平成19年私立大学等経常費補助金配分基準(特別補助)によると、大学院で海外留学生を5~9人受け入れれば400万円の補助金を増額し、90~99人で3200万、370~399人で9200万円、760人以上で1億7000万円まで増額するなど、人数ごとに補助金の額が細かく決まっている。また留学生のための専用教員を増やしたり、受入れのための体制・施設の整備、生活支援や就職などのサポート体制の有無によって補助金が増額される。
それによって、一例だが、九州大学大学院工学府の陳光斉教授の研究室では、修士・博士課程の大学院生は全員中国人留学生というケースも現われている。こともあろうに、国立大学という日本国民の税金を使った教育施設が、中国人に占有され、中国人のためだけに活用されるということがあっていいのだろうか?
また日本学術振興会による招聘事業の場合、たとえば博士号を取得した海外の若手研究者を対象にした「外国人特別研究員」(一般)の人文・社会科学から化学・工学・医療・情報など9分野で、平成6年度の採用者合わせて115人のうち3人に1人近くの36人は中国人で占められている。2番目に多いのはインド人で19人、そのほかの国は各国1人から3人程度である。彼らには往復の航空券と渡日一時金20万円、それに滞在1~2年の期間、毎月36万2000円の滞在費が支給される。
国費を使った外国人研究員の招聘事業で、中国人だけがなぜこれほど多いのか。大学の国際化というなら、中国人だけに偏向せず、世界各国にその対象を広げバランスをとるべきだろう。
素朴な疑問は、これだけ中国人研究者や留学生を日本に招いたとして、日中関係の改善に何か役に立ったことはあるのかという疑問だ。
すでに米国では、一部の中国人留学生と中国共産党員の家族の入国を制限するという方向に舵を切っている。それについては別稿で扱うことにする。
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