BYD(中国名「比亜迪」ビヤディ)といえば、中国最大手のEV電気自動車メーカーで、今やアメリカのテスラと並ぶEV業界の世界的ブランドとして知られる。ところが、そのBYDが香港と深圳の証券市場で株価が急落し、中国の自動車業界に衝撃が走った。
BYDの株価は5月26日、香港株式市場で前週末5月23日の終値と比べて9%以上急落するなど、その後も値下がり傾向が続き、6月2日までの1週間で株価は、23日の終値から20%近い下落となった。
株価急落のきっかけとなったのは、5月23日、BYDが発表した大幅値下げ戦略だった。「夏の限定価格」と銘打ち、22モデルを対象に値下げを実施し、特に「海豹」(Dolphin)ブランドのハイブリッドモデルは5万3000元(約106万円)値下げし、値引き率は最大の34%に達した。
(BYD海豹・Dolphinモデル 255万円)
(以下に論じる内容はYoutube「精鋭論壇 我们更了解中国」を参考にした。)
BYDが値下げに踏み切った主な理由は販売不振だった。2025年の販売目標は550万台だったが、1月から4月の販売実績はわずか138万台で、このペースだと年間で約400万台にとどまり、目標を大きく下回ることになる。前年2024年の販売台数は427万台で、前年比41%増だった。それが一転、今年は成長が止まり、企業にとっても、株価にとっても壊滅的な状況に陥る恐れがあった。そこでBYDは大幅値下げで販売を伸ばそうとしたわけだが、これは一種の「自傷行為」でもあった。業界には震撼が走り、他のブランドも追随せざるを得ず、同じように値下げに踏み切るEVメーカーが相次いだ。すでに過当競争の中国自動車市場はさらに厳しい状況に追い込まれ、倒産する弱小EV企業も相次いでいる。
「過去最高」の財務報告から一転した債務状況
BYDといえば、去年1年間の欧州市場での月間販売台数は7300~7400台で、テスラの7100台を上回り、伸び率では、テスラの40%減に対し、BYDは30~40%増と大きく躍進し、その勢いに注目が集まっていた。そうした好調さを反映するように、BYDは去年末、「史上最高」と謳う財務報告を発表していた。2024年の売上高は7710億元(約15兆4200億円)で、前年比29%増。純利益は402.5億元(約8050億円)で34%増と、すべての主要経営指標が過去最高を記録、したはずだった。特に注目すべきは、負債総額が285.8億元(約5700億円)、負債率がわずか4.9%と業界最低水準だったことだ。負債率5%は、ほとんど負債とも呼べないレベルで、業界の模範ともいえる優秀な財務データだった。
ところが新年が開けた途端、状況が一変する。1月末に香港の会計コンサルティング会社GMTリサーチが報告書を発表し、BYDは実際の債務を隠していると指摘したのだ。GMTによると、BYDの真の債務は441億ドル、つまり約3180億元(約6兆4000億円)に達する可能性があるという。これはBYDが公表していた負債額(285.8億元)の11倍に相当する。BYDの純資産は1500億元(約3兆円)にも満たないので、この債務額だと、ほぼ「債務超過」の状態ということになる。
GMTリサーチといえば、かつて中国不動産大手「恒大実業」の「爆雷」(経営破綻)を予見した報告書も出していた。これについて、当時は「恒大は大きすぎて潰れない」と笑い物にされたが、結果は周知の通りだ。GMTは、香港のSFC証券及び先物取引事務監察委員会Securities and Futures Commissionの監督下にある信頼性の高い財務分析機関で、アジアの上場企業を専門に調査している。つまり、報告書は噂や憶測ではなく、プロによる専門的な分析の結果だった。
融資や債務を運用資金と偽装するトリック
GMTリサーチは、BYDが実際の債務を隠す手段として、融資や隠れ債務を運用資金の一部として偽装する「トリック」を使っていると指摘した。そのトリックとは、例えば、BYDのサプライヤーへの支払い期間は平均9ヶ月以上で、部品を納入したサプライヤーは9ヶ月後にようやく支払いを受けることになる。BYDはこうした上流のサプライヤーへの支払いを遅らせることで、事実上の融資を受けているのと同じことになる。つまり商品を受け取っても、すぐには支払わず、資金として運用に使うわけで、これはサプライヤーがBYDに無利子の資金を提供しているのと同じことを意味する。BYDは大企業で、背後に政府の支援もあるため、サプライヤーは支払い猶予をしぶしぶ受け入れざるを得ない。GMTによると、BYDの真の債務は5500億元(約11兆円)に達し、債務比率は77%と非常に高い。この隠れ債務の大部分は、サプライヤーへの未払い金ということになる。負債総額が285.8億元(約5700億円)という財務報告とは20倍近くの差がある。
さらに下流のディーラーにも影響がある。BYDはディーラーに過剰な在庫を抱えさせ、ディーラーは銀行から多額の融資を受けざるを得ない状況が生まれる。これもBYDの代わりにディーラーが融資を片わりしている形となっている。BYDの有利息債務は400億元(約8000億円)だが、無利息の債務が大半を占める。しかし無利息であっても債務は債務で、車が売れなければ、結局は爆雷(経営破綻)につながる。
実は不動産大手の恒大実業も同じパターンだった。上流の鉄やセメントのサプライヤーが無利子資金を提供し、建物が売れなければ、結局、サプライヤーが倒産し、最終的に恒大も破綻した。市場が大きすぎるがゆえに、最終的に売れ残ると上流企業が倒産し、恒大自身も爆雷に至る。これは中国だからこそ可能な、中国特有の「特殊な手法」といわれる。海外なら訴訟になり、裁判所が即座に支払いを命じるが、中国では大企業、地方政府、裁判所が一体となっているので、訴えても無駄なことは、はじめからわかっている。
国策の電気自動車普及は「補助金詐欺」を生み出した
電気自動車は中国共産党の「トップダウン設計」による重点支援産業といわれ、2015年に習近平が発表した産業政策「中国製造2025」(Made in China 2025)の目玉商品でもある。そのために莫大な補助金や税金免除などの優遇策が投入されてきた。たとえば、電気自動車1台購入につき5万元(約100万円)の補助金があり、後に2万元(約40万円)程度に減額された。さらに中央政府の補助金に加え、地方政府の補助金や購入税の免除など様々な優遇策がある。
中国に電気自動車メーカーがどれだけあるか、実は誰も正確には把握していない。一時期は2000社以上と言われ、1万社にのぼるという人もいた。多くの地方政府は地元企業を支援し、電気自動車への投資を求めた。それはなぜか?中央政府からの補助金を得られるからだ。車両購入の補助金だけでなく、産業基金の配分もある。企業と地方政府が決託し、中央政府から補助金を「だまし取る」わけだ。
電気自動車の補助金にはさまざまな「裏技」があるといわれる。過去10年以上、中央政府は電気自動車に1.6兆元という巨額な補助金を投入した。多くの企業は補助金を得るため、ありとあらゆる手段を使ってきた。例えば「ゼロキロ(0km)中古車」がある。車を売らずに、偽の販売契約を捏造し、ナンバープレートをつけて「販売済み」に見せかける。1キロも走っていない車を「中古車」として安く売ると、1台につき数千から数万元の補助金がもらえる。また低品質の車を最低限のコストで組み立て、4つのタイヤとシャーシーだけで完成車と称して売る。さらに偽の顧客や関連企業を使って、販売を偽装したり、輸出でも同様の手口を使っているという。まったく「補助金詐欺」だ。2023年以降、購入補助金はなくなったが、税免除などの優遇は残っている。ネット上では、2024年に1500万台の電気自動車の在庫があると言われている。この在庫を消化するため、企業は税免除を騙し取る手口を使っている。
EV電気自動車に未来はあるか?
価格競争が加熱し、業界は「自滅的」な状況に陥っている。10万元台に値下げされると、この10万元(約200万円)の利益をどうやって吸収するのか?材料を削ったり、サプライヤーを圧迫したりするしかない。サプライヤーも利益が出なくなり、結局、みんなで手抜きをする。車の品質や安全性が確保できなくなるのは大きな問題だ。中国では、電気自動車のバッテリー火災事故が多発しているが、政府が報道を抑えているため、官製メディアではこうした火災事故は絶対に報じない。
業界内ではBYDの財務状況が悪化していることは公然の秘密だと言われる。またBYDの2024年販売実績427万台にも水増しがあり、特に輸出データに問題があると言われる。中国は年間2000万台の車を生産するが、国内需要は1200万台程度しかなく、800万台は輸出が必要となる。しかし国際市場にそんな需要はない。
電気自動車はバッテリーとモーターに4つのタイヤをつけたものと見られがちだが、実際はコンピューターやAIシステムにタイヤをつけたもの、というほうが本質に近い。鍵は自動運転技術にある。自動運転には、大量のデータ収集や伝送技術が必要だが、情報セキュリティへの懸念から、外国製の電気自動車の導入には制限を設ける国もある。現に中国はテスラの国内販売を制限し、データ漏洩を警戒している。
国策に支えられたBYDは「恒大モデル」の二の舞か
ところで、BYDは90年代中期からバッテリー製造でスタートし、世界の携帯電話メーカーにOEM供給していた。そのバッテリー企業がなぜ巨大な自動車メーカーに生まれ変わったのか。中国の自動車産業は80年代末から90年代初頭にかけて、広州汽車集団(日本のホンダと提携)、上海汽車(ドイツと提携)、武漢の東風汽車(フランスのシトロエンと提携)など、外国メーカーに依存し、低・中級技術の導入に力を入れてきた。しかし、中国には自動車技術に優れた独自の研究機関はない。BYDも強みはバッテリーだが、自動車技術はほぼゼロ。そのBMDがなぜ成功し、国産ブランドに急成長したのか?それは政府の「民族主義」のプロパガンダで、反米・反日感情を煽り、低価格で低所得層を引きつけたことによる。BYDの車はほぼゼロ利潤で売られ、巨額の資金調達で拡大を続けてきた。金融や政府との関係で、企業運営では成功したが、その成功は正常な市場の産物ではなく、特定の環境下で生まれた、いわば「異端児」だったといえる。
そうした運営モデルは経営破綻した恒大実業にそっくりだ。恒大も政府と深く決託し支援を受けてきた。本物の起業家は、実直に製造やシステムの改善に取り組むものだが、恒大やBYDは政府との関係を優先した。BYDが「恒大モデル」となって倒産するのも必然かもしれない。
電気自動車の鍵は充電速度と航続距離だが、バッテリーの寿命は約7年で、交換費用はアメリカで1万ドル(約144万)円、中国でも7~8万元(約140~160万円)かかる。車が1~2万ドル(約144~288万円)なのに、バッテリー交換が1万ドルでは割に合わない。また廃バッテリーの処理も課題で、リチウムバッテリーは分解が難しく、リサイクル処理の方法は確立していない。
さらに最近、中国各地では大規模な洪水が発生し、水没する電気自動車が年間100万台を超えると言われる。そうした水没した車が外見上はきれいに修復された上に中古車として東南アジアなどに安く輸出されている事例があるとされ、その安全性が問題となっている。「脱炭素」の時代の最先端を行くと見られる電気自動車だが、中国EVメーカーによる過当競争で、供給過剰という需給のアンバランスが生じ、今後、寿命を迎えた電気自動車の廃棄処分やリサイクルが人類的・文明史的な課題にさえなっている。
「内巻」という過当競争・消耗戦に陥った「習近平経済」
中国のEVメーカーが巻き起こした価格競争や補助金獲得競争など電気自動車市場の混乱の中で、いま盛んに使われている中国語に「内巻」(nèi juǎnネイジュアン)という言葉がある。もともとは「involution」(混乱・もつれ)という英単語の訳語で、「社会がある発展段階にさしかかったあと、次の段階に進めずに停滞する」という意味だったが、激しい受験戦争や長時間労働を伴う出世競争など、中国の社会情勢を反映した言葉として、2020年ごろからネット上で流行し、現在は「内向きな過当競争で消耗戦を強いられ、全員が疲弊する」という意味で使われている。
楊駿驍『闇の中国語入門』(ちくま新書2024年6月)によれば、「『内巻』は多くの場合単純に『競争が激しすぎるし、どんどんエスカレートしていく』という意味で使われる」とした上で、「とはいえ、資源が限られている場合、競争の効果には限界が生じます。いくら頑張って競いあっても、有限な資源を奪いあっているだけなので、そこに発展はありません。それにもかかわらず、競争をやめてしまえば、その有限の資源も手に入らなくなってしまうため、やめるどころか、さらなる資源を投入して競争を勝ち抜こうとします。つまりエスカレートする悪循環であり、そこでは誰も得しません。多くの人は、自分はそれに巻き込まれているだけだが、抜けるわけにはいかないと考えています。」(p170)とし、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた全体主義的なディストピアではなく、一般人の間で洗脳しあい、ゲームのルールを強制しあう新しいディストピアの到達点の一つが「内巻」という現実だと論じている。
つまり、不合理な「過当競争」という認識がありながらも、そこから抜け出せない中国経済の深い闇がある。そこから脱するためには、習近平の「発展モデル」を見直し、現実を直視する必要がある。習近平の失脚が噂されているが、それを契機とした経済の立て直しが迫られる。その号令となるのが、BYDの「経営破綻」かもしれない。
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