中国の前首相・李克強が2023年10月、68歳で死亡したというニュースは、当時、誰も予期していなかった、まさに驚天動地の出来事で、誰もが「暗殺」を疑う不審死だった。その死の半年ほど前、実は、本人がその死を予期し「遺書」を残していたとして、その全文が公開され、海外の中国ウォッチャーたちの間で話題となっている。
この「遺書」に書かれた内容は『人民報』(7月24日「李克強最後遺言首度公開 密友保存其去世前親筆信」)や『看中国』(7月25日「密友珍藏2年 李克強生前最後遺言爆光」)といった米国を拠点にした中国語ネットメディアで伝えられたが、李克強自身が書いたという自筆の文面が公開されることはなく、本物かどうか真偽を確かめる手段はないが、「遺書」が書かれたのは、『2023年春月、李克強敬上』という最後の記述からみて、2023年3月の全人代で国務総理の職を解かれた直後とみられる。そしてこの自筆の「遺書」は李克強の親しい友人に託され、その死から3か月後の2024年初め、上海出身の実業家で米国在住の胡力任氏に「遺書」の内容が伝えられ、「この貴重な歴史資料を大切に保管して、時がくれば、国民に真実を明らかにしてくれることを懇願された」という。
胡力任氏は、この「遺書」は「李克強が自分の死の危険を予感した時に書いた'全国人民に与える公開書簡'だ」とした上で、「この手紙が李克強の不正常な死の真実を明らかにする重要な手がかりになるだろう」と述べている。
なぜ、今の時点で公開に踏み切ったかは、その理由は明らかにではないが、実は今年の6月に、同じく『人民報』(6月13日「神秘人爆料李克强被謀殺全過程」)や『看中国』(6月15日「蓋子被揭!參與謀殺者自爆李克強被害全過程」)といったネットメディアが、李克強は軍が開発した心筋梗塞を起こす薬物を飲まされて「暗殺」されたものだとして、その実行グループと詳細な犯行手順を明らかにしていたほか、この直後、李克強の未亡人(程虹)が中国共産党中央と中央軍事委に対して、李克强の死の真相を調査するように陳情したことが明らかになっている。さらに李克強の生誕70年にあたる7月3日には、党機関紙「人民日報」が「党と人民のための事業に奮闘した生涯だった」と題する長文の記念評論文を掲載し、その改革開放路線と集団指導体制を賛美するなど、習近平一強独裁体制を否定し、公式に李克強復権を宣言する内容だった。こうした経緯もあって、胡力任氏は公開に踏み切るタイミングだと判断したのかもしれない。
確かに、李克強の“全国民に与える公開書簡”としてのこの『遺書』には、李克強が信念や理想として追及してきた彼の「政治哲学」「政治信条」を語ることを通して、中国が抱える目の前の現実と課題を突きつけ、習近平専制政治へのアンチテーゼを示す結果になっている。「遺書」の真偽はともかくとして、海外に逃亡した中国人を含め、一般の中国人たちが、コロナ下での厳しいロックダウンの規制と経験を経て、いま何を考え、中国は今後いかにあるべきかと考えているか、そのことが手に取るように理解できる。
以下に、日本語訳の全文を資料として掲載するので参考にしてほしい。
<中国人民に未完の理想を託す書>
親愛なる中国の人民へ、この手紙を未完の理想に捧げます。
親愛なる同胞の皆さん、あなた方がこの手紙を読むとき、私はもう声を発することも、説明することも、一言一句を残すこともできないかもしれません。それでも私は、この一瞬を借りて、未だに尽きない信念と心に残る気がかりを言葉として残しておきたいのです。
私は物質的に乏しい時代に生まれ、社会が激しく揺れ動く時期に青春時代を過ごしました。読書によって運命を変え、国家建設の道へと歩みを進めることができました。地方から中央へ、数十年にわたり政治に携わり、中国が閉鎖から開放へ、貧困から温飽(衣食が足りること)へと向かう過程を幸運にも経験しました。そして、数億の家庭が勤勉に奮闘してきた歩みをも目の当たりにしました。調査研究のたび、あるいは状況聴取(ヒアリング)のたびに、この大地の人々の生活の厳しさと心の強さを深く感じてきました。
私は常に信じています。国家の現代化は、高層ビルやGDPの数値の伸びとして表れるのではなく、人々が本当に安定した生活を持ち、尊厳のある雇用があり、自らの価値を示すための自己実現のチャンスを持っているかどうかにこそ、表現されるべきだと思います。現代化の成果は、最終的に一人ひとりの普通の人々の生活に行き渡らなければなりません。発展には温もりが必要であり、改革には応答が必要です。政策は民意から離れてはならず、民生に資するものでなければなりません。
国務院総理の職にあった期間、私は簡政放権(行政の簡素化と権限委譲)を主張し、民営経済を支持し、資源配分における市場の決定的役割を強調してきました。私は一貫して、中国の発展は市場メカニズム、法治の保障、制度の革新に依拠すべきであり、過度に行政命令や人為的介入に頼るべきではないと考えてきました。社会の創造力を十分に解き放ってこそ、国家の潜在力は真に引き出されます。
私はかつて、「中国には月収1,000元(日本円で約2万円)未満の人が6億人いる」と述べたことがあります。これは冷たい数字ではなく、私たちの目の前に立ちはだかる現実です。私たちは問題から逃げてはならず、責任からも逃げてはなりません。責任ある政府とは、問題を直視して解決に導き、民生を根本に据えるべきものです。
また私は、「人の行いはすべて天が見ている」と言ったことがあります。これは善行を勧める一言であると同時に、私が職務を担う上で常に抱いてきた畏敬の念でもあります。私たちが手にする権力は人民から授かったものであり、当然のこととして人民に奉仕し、人民の監督を受けるべきものです。
私はあの全国民が新型コロナ感染症と闘った日々を常に心に刻んでいます。それは突然訪れた全国民への試練でした。封鎖、隔離、不安、そして犠牲が、数え切れない家庭の生活に深刻な傷跡を残しました。防疫は必要ですが、その過程ではもう一つの側面も直視しなければなりません。過度の封鎖は民生を損ない、情報の遅滞は恐慌を招き、表現を抑圧すれば社会の不安を蓄積させます。あの時、多くの家庭が沈黙の中で苦難に耐え、あまりにも多くの真実の声が届きませんでした。
過去を振り返るとき、私たちは経験を総括するだけでなく、教訓にも勇敢に向き合うべきです。本当に責任ある政府であれば、危機の中でこそ民生に耳を傾け、偏りを正すべきであって、国民を苦しみの中で沈黙させ、困難の中で声を失わせてはなりません。近年、改革の原動力は弱まり、市場の政策や発展への予測は揺らぎ、社会の声は減少しています。こうした変化は深く見つめ直す必要があります。健全な社会は、真実を語ることを奨励し、異なる意見を受け入れ、制度化された方法で矛盾を解決するべきです。もし全てを安定維持と統制のみに頼るならば、その表面的な平穏は長くは続きません。
私はこれまで体制を意図的に非難せず、歴史の評価にも執着せず、むしろ過去からどう経験を汲み取り、未来へ進むかに関心を注いできました。私は一貫して信じていることは——中国の未来は、一歩一歩着実に歩み、心に夢を抱くすべての普通の人々に属するものだということです。どうか皆さん、信念を失わないでください。開放は発展への唯一の道であり、改革は公正と正義を実現する根本の途です。私たちは過去に戻ることはできず、視野を閉ざすことも、恐怖が理性を圧倒することも許してはなりません。
どうか、明晰な頭脳を持つ市民の皆さんは、たとえ喧噪の中にいても理性的判断を失わず、力が弱くても良心という基本線は守り続けてください。私は、ある人が私の性格が温和で、表現が抑制的だと言っていることを知っています。しかし私は常に、この国にはもっと真実を語り、実務と責任を担う建設者が必要であって、ただスローガンを叫ぶ人なら要らないと考えています。
もし私の努力が、改革の中にわずかでも空間を残し、市場の中でわずかでも仕組みを守り、社会の中でわずかな寛容を得られたのなら、私は自分の肩に負った責任を裏切らなかったと言えるでしょう。しかし、なおも心残りがあります——それは、皆さんの生活をより安心できるものにし、制度をより透明にし、言論をより自由にするために果たせなかったことです。それが私の謝罪であり、未完の責務です。
蜉蝣(かげろう)が天地に身を寄せるように、大海の一滴に過ぎない私は、自らの小ささと限界を深く知りつつも、生涯の思いと願いをこの大地と人々に託したいのです。未来の中国のすべての市民が、より法治を伴った、公正で、希望に満ちた社会の中で成長できますように。この地の人々が、率直に声を上げ、自らの選択を行い、安心して生活できますように。私はやがて寂滅の世界に帰るかもしれませんが、あなた方は今もこの世で歩み続けています。どうかこの手紙が、消えぬ微かな光となって、進むべき未来の方向を照らしますように。
2023年春、李克強敬上
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