「武漢肺炎」をめぐる人類史的考察⑩
<世界帝国・モンゴル帝国はなぜ滅びたのか>
ここしばらく「『武漢肺炎』をめぐる人類史的考察」と題して、現在の新型コロナウイルスの世界的な流行を、人類史あるいは世界史レベルの視点から考察を進めている。パンデミックと言われる現在の状況は、まさに世界史が動く現場でもあると考えるからだ。
世界史のなかに登場するパンデミックといえば、14世紀に流行したペストがまず思い浮かぶ。このブログでも2年前に書いた記事「脱中華の東南アジア史⑧モンゴル編」(2018/5/5)のなかで、次のように記している。
「ヨーロッパでは1348年にペストが大流行し、わずか3年間で人口の三分の一が失われた。このペストについて、モンゴル帝国によってユーラシアを横断する貿易が盛んになり、その交易品の中にペスト菌を運ぶネズミがいたはずで、シルクロードは疫病の通り道でもあったという説がある。おなじころ、中国でも黄河が大氾濫し、悪疫が華北・華中を襲った。モンゴル帝国成立前の1200年には1億3千万人だった中国大陸の人口は、明の洪武26年(1393年)には6千万人と半分以下になってしまった。ヨーロッパでは、健康な人間が伝染病で次々と倒れていく様を見た人びとは、今まで信じていた神に懐疑的となり、これが宗教改革のきっかけとなったとされる。」
モンゴル帝国といえば、極東の朝鮮半島から西は現在のポーランド・ハンガリーにあたる東ヨーロッパまで、南は東南アジアの島々からインド亜大陸、アラビア半島までユーラシア大陸のほぼ全てを版図に治めた人類初の世界帝国であり、まさに「世界史」はモンゴル帝国の成立によって始まったともいわれる。そのモンゴル帝国は、「ユーラシア通商圏」というべき内陸経済圏のほか、南シナ海からインド洋までつなぐ「海のシルクロード」と呼ばれる海上交易圏をつくった。その陸上と海上のルートは当時、ローマから訪れたマルコ・ポーロが往路と復路にたどった道でもあった。いわば当時のグローバル化の波に乗って、人とモノが大量に移動した結果、ペストも瞬く間に世界に拡大した。
それは、中国の台頭で、中国を中心にしたサプライチェーン、物流のネットワークが作られ、世界を股にかけた「一帯一路」という巨大経済圏が形作られている今の状況と瓜二つ。今回、ヨーロッパにおける中国人の一大集住拠点ミラノなど北イタリアで感染爆発が起き、次々と欧州各国、そして米国へと拡大したこと、そして一帯一路の重要ルートになっているイランやイタリアでまず感染爆発が起きたことは、14世紀との類似を彷彿とさせる。
モンゴル帝国は、中央アジアに「駅伝」という交通網を張り巡らせ、紙幣を流通させて信用経済という先進的なシステムを発明するなど、人類史にさまざまな功績を残したが、モンゴル高原でのジンギスカンの登場からモンゴル帝国の解体までわずか2世紀足らず。フビライの大元ウルスの成立(1260年)と中国からの撤退(1368年)までを見ても、わずか1世紀余りしかなかった。
強大な軍事力と高度な支配体制、重商主義的自由経済を誇りながら、モンゴル帝国はなぜかくも脆(もろ)く滅んだのか。実は13世紀から14世紀にかけて、世界は地震や火山噴火、洪水など地球規模の異常気象に見舞われ、しかも黒死病と呼ばれたペストのパンデミックが重なった。それこそがモンゴル帝国の崩壊を早めた原因ではないかと言われる。
<モンゴル帝国がその後の世界史を作った>
しかし、短命に終わったモンゴル帝国だったが、彼らがユーラシア大陸の各地に作ったウルス(国家)は、その後のロシアやインド・ムガール帝国、中東・イスラム世界の勢力範囲を確定することになり、まさにその後の「世界史」の展開に大きな足跡を残すことになった。そして彼らが残した海上での交易ルートは大航海時代の先駆けとなり、それ以前の「陸と弓矢」の時代から「海と鉄砲」の時代を迎えることになる。
その大航海時代は、スペインとポルトガルが、当時のローマ法王の仲裁・承認を経て、「デマルカシオン」(demarcación=境界線)という名の世界分割統治計画に乗りだしたことに始まる。そしてデマルカシオン体制に先兵としての役割を担ったのが、イエズス会やフランシスコ会などのカトリック宣教師たちだった。
当時、ペストが猛威も振るい、多くの人々が犠牲になったとき、キリスト教会は人々を保護し救済することは何もできなかった。そうした反省から生まれたのが「宗教改革」であり、教会の権威に変わる「国民国家」の誕生だった。宗教改革で新教プロテスタントが勢いを増すなか、カトリックの失地回復のために、ヨーロッパ以外の地域へ進出し、神の福音を伝えることを使命として、1540年、ローマ教皇の認可をうけて創立されたのがイエズス会だった。そしてその宣教師たちは、貿易商人や植民者、軍隊などとともに海外に赴いて布教活動を行った。
人とモノの移動によって、文化や情報、新しい思想や考え方が伝播される。大航海時代にアジアの人々が出会った新しい思想こそ、キリスト教であり、西洋的世界観だった。当時の日本で、西洋からもたらされる新しい潮流、キリスト教的世界観と真剣に向かい合い、格闘したのが織田信長や豊臣秀吉、徳川家康をはじめとする戦国時代のリーダーや地方の大名たちだった。大航海時代という西洋からの挑戦に、しっかりと応戦し、真剣に考え応答した結果が、のちの江戸時代の武家長期政権とその後の明治維新にも繋がっていく。それは同時代の中国清朝や李氏朝鮮の、西洋に対する向き合い方とは明らかに違っていた。秀吉は、スペインやポルトガルによる「デマルカシオン」世界分割占領計画を知り、それに対抗するため、インドにまで及ぶアジア戦略を構想していたし、徳川家康はオランダやイギリスとの交易で西洋の先進技術を知ると同時に太平洋をわたってメキシコとの交易まで画策していた。(詳しくは本ブログ「脱中華の東南アジア史⑪大航海時代と日本」を参考)
一方で、時代は下るが、清の乾隆帝は1793年、英国国王の使節として北京を訪れたマッカートニーに対して、「地大物博」つまり国土が広く物産は豊かな中国は、外国に頼らなくても欲しいものはすべて手に入ると豪語し、対等な外交関係を結ぶことさえ拒否した。また李氏朝鮮は、オランダ人のヘンドリック・ハメル(長崎に向けて航海中に台風に遭って済州島に漂着、以後13年間にわたって朝鮮に幽閉された)の『朝鮮幽囚記』によると、当時17世紀の朝鮮の人々は、世界には中国の皇帝が支配する12の王国しか存在しないと何の疑いもなく信じ、世界には清以外にも多くの国があるといくら説明しても、せせら笑うだけで信用されなかったと記されるほど、中華中心主義の狭い世界観に閉じこもっていた。
(池萬元著『元韓国陸軍大佐の反日への最後通告』ハート出版 (位置No.813-816)
つまり、中国・朝鮮の中華主義の国は、モンゴル・元帝国という先進的な時代を経験しながらも、再び中華主義という停滞した世界観に閉じこもっていた。一方で、西側世界では14世紀に起きたペストの世界的流行・パンデミックの以前と以後では、すべてが大きく一変するほどの変化が起き、人々の思考や生き方を含め、思想、哲学、宗教にも大きな変革を迫ることになり、まさにその後の世界史は大きく展開していくことになったのである。
<「ポストコロナ時代」の難しい国際関係>
今回の中国・武漢発の新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、最終的にどれほどの規模になるのか、今の段階では予測は難しいが、しかし、感染拡大が終息したあとの「ポストコロナ時代」に、人々の生活様式や生き方がどう変化し、国際関係を含めて世界はどう変わっていくのか、すでに関心が注がれている。
インドでは14億とも言われる国民に対し、全土に及ぶ大規模な外出禁止命令が出されている。世界各国でも、程度の違いはあっても、さまざまな外出制限措置がとられているが、こうした事態は、いまだかつて人類が経験したことがない、有史以来、まさに初めての世界史的な出来事であろう。
社会的存在である私たち人類が、いまや「社会的距離」(ソーシャル・ディスタンシング)を求められて人間関係や社会活動そのものの見直しを迫られているほか、密閉・密集した場所での密接な接触を避けることなど「行動変容」が求められ、まさに人類が営々と築いてきた生活習慣や礼儀、常識まで覆さざるをえない状況になっている。
また、「ポストコロナ時代」で、深く懸念されるのは、今後の不透明な国際関係だ。国外から持ち込まれるウイルスによる感染拡大を防止するために、先進国から南洋の島国まで、多くの国が入国禁止措置を敷き、あるいはビザの発行停止や入国後14日間の隔離措置などで実質的に入国を制限する措置をとっている。人の流れを止めれば、モノの流れも止まる。部品・原材料のサプライチェーンがストップし、多くの工場の操業が停まっている。企業関係者の海外への出入国ができず、海外工場の生産管理や海外プロジェクトの現場管理ができなくなっている。つまり、海外に市場を広げ、海外ネットワークを活用することで生産を拡大してきたグローバリズム経済は、今回の事態で、その根底の危うさ、インフラ基盤の脆さを露呈することになった。
とりわけ中国の労働力と中国国内市場を期待して工場を移転させ、中国に製造拠点を集中させてきた世界の企業にとって、これまでも何度も発生してきた中国発の感染症というリスクを、改めて思い知らされ、中国との取引き関係を決定的に見直す機会になっただろう。「世界の工場」として発展を続け、今や世界第2の経済力と5G通信技術など最先端テクノロジーで世界覇権さえ狙おうという構えを見せていた中国も、今後は海外企業の撤退や経済成長率の低迷で厳しい局面に入るだろう。それは習近平政権の寄って立つ正当性の議論にも繋がる。
もう一つ深刻な事態は、互いの貿易品に高関税をかけ悪化していた経済関係に加え、新型コロナウイルスの発生源をめぐる論争という別の要素を付け加えた米中関係だ。トランプ政権になって、アメリカの中国に向き合う態度は明らかに変化した。それ以前のオバマ氏までの歴代米政権は、問題があっても中国とは波風を立てずに付き合おうという姿勢が濃厚だったが、トランプ政権になると、中国との関税引き上げ合戦など、その手段はともかくとして、おかしいところはおかしいと直截的に指摘する姿勢が目立つ。
今回の新型コロナウイルスの事態に対しても、トランプ大統領は「China Virus(中国ウイルス)」と呼び、その発生源を中国・武漢と特定する一方、その流出ルートを徹底的に調査し、感染拡大を招いた中国の責任を追及するよう求めている。こうした大統領の姿勢に応じて、米国内では民間人や地方自治体を含めて、中国に損害賠償を求める訴訟が相次いでいるという。
それに対して中国は、外交部の報道官が、「米軍が武漢にウイルスを持ち込んでばらまいた疑いがある」と指摘して物議を招いた以降も、4月下旬になっても、中国国営の国際発信メディアCGTNを通じて、「新型コロナウイルスは最初、アメリカを起源として広まった」という主張を繰り広げている。
ことは、両国の何万人もの国民の生命を犠牲にした事態である。その原因、責任の所在を追及するのは当然だとして、中国とアメリカがウイルスに最初の発生源をめぐってここまで対立する事態は、両国の面子・プライドをかけた戦いとなり、今後も何世紀にも渉って続く可能性がある。
さらに、WHO世界保健機関という国際組織をめぐっても、中国vs米国という対立の構図がはっきりと顕在化した。WHOは、この間、中国寄りの姿勢や判断を繰り返したのは明らかであり、米国だけに留まらず多くの国から、その存在と役割に疑問符が突きつけられた。WHOの運営資金の最大の出資者である米国は、WHOへの資金供出停止を表明した。アフリカ外交などで国際社会に影響力を発揮できるようになった中国が、人事権を握れば、国際機関をも自由に操れると考えた、その傲慢さに対して、国際社会が拒否反応を示したことになる。
一国に牛耳られ、本来の役割を果たさなくなった国際機関を目にした国際社会は、国際機関のあり方を改めて議論し、どう立て直すかその未来像を示すことが、ポストコロナ時代の課題の一つになった。
<ポストコロナ時代にいかなる価値を付加できたのか?>
ところで、中国や韓国、台湾など極東の国が、新型コロナウイルスの脅威にうまく対応し、比較的早期に感染拡大の勢いを沈静化させた一方で、ヨーロッパ諸国やアメリカが、いずれも「感染爆発」という事態を起こし、感染者も犠牲者数も限界の見えない急拡大を招いているなかで、「西洋ブランドの没落」と「東洋的価値の見直し」が囁(ささや)かれ始めている。
つまりは、民主主義と資本主義に代表される「西洋」的な価値観、西洋的近代を支えてきた支配思想は、新型ウイルス感染症という全世界的な危機に、これまでのところ適切に対応できたとは言えず、一方で、中国や韓国など全体主義的監視システムがうまく機能した社会では、早期にウイルスに打ち克つことが出来たというのだ。
今回、新型コロナウイルスの感染拡大を抑える手段として、中国や韓国で使われたのが、IT情報通信技術による追跡監視システムだった。国民一人一人をリアルタイムで把握し、移動の自由を制限することを可能にしたのは、社会の中に張り巡らされた監視カメラとモバイル通信データの活用だった。つまり、歴史上初めて全国民監視体制が可能な国が出現し、ITモバイル技術とそのネットワークの活用で、バイオコントロール(Bio-control=生物学的制御)とバイオサーベイランス(Biosurveillance=生物学的監視)が同時に可能になり、新型ウイルスにも機能的に対抗できたというのだ。
当ブログ<「21世紀型警察国家を目指すウイグルの殖民地支配」2018/3/23>でも過去に扱ったことがあるが、例えば、新疆ウイグル自治区では、ウイグル人の身元の特定と移動の監視のため、街中に張り巡らした監視カメラと顔認証技術が使われ、スマートフォーンの使用履歴を監視し、個人の指紋や声紋だけでなく、DNAなど生体データまで収集している。つまり、中国は、今回の事態を前に、全国民監視体制の予行演習を十分に重ねていたのである。
今年94歳になるイギリスのエリザベス女王は4月5日、感染急拡大で苦境に陥った英国国民に向けてテレビ演説を行った。そこで語られた言葉が心に染みる。
「私たちが団結して毅然として立ち向かえば、この危機を克服できます。そしていつか、この困難をいかにして乗り越えたか、皆が振り返り、誇りに思う日が来ることを願っています。自制心や快活な精神、強い連帯意識といったものは、いまなおわが国民の特徴です。私たちが感じているこうした自尊心は、単なる過去の一部ではなく、私たちを方向付け、現在と未来を形作っていくものなのです」。
<NHK ニュースウェブ4月6日「団結し打ち勝つ」英エリザベス女王が異例のテレビ演説」>
時代が変わり、歴史がいかに流れても、失ってはいけないのは、民族・国民の誇りだと思う。私たちの子孫は、この時代を振り返り、わが父祖たちは正しい選択を行った、危機を克服し新たな時代を作るきっかけを作ったと誇りに思ってくれるだろうか?
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